昭和の航空自衛隊の思い出(228) 飛行教育集団司令部人事班長(2)

1.     飛行教育集団司令部の主要陣容

     昭和54年8月~56年8月まで2年間、飛行教育集団司令部に勤務し人事部人事第1班長を務めた。

❶ 昭和55年5月頃のメモによると、飛行教育集団司令部の主要陣容は次の通りであった。

司令官】川越重比古空将【幕僚長】小野正明将補

《監理部》【監理部長】水野勇1佐【総務班長】牧田総洋2佐【班員】有川幸宏2尉・松澤治夫事務官【監理班長】髙橋泰2佐【会計班長】福田芳伸2佐【班員】新村克彦事務官【基地問題対策班長】石川勝次事務官【班員】山本壽1尉

《人事部》【人事部長】小澤重信1佐【人事第1班長】濵田喜己2佐【班員】高田赳夫3佐・斎藤衛2尉【人事第2班長】目黒松治事務官【班員】矢野五三夫事務官【訓練班長】摺澤清2佐【厚生班長】柏木弘臣3佐【班員】内山和夫事務官

《教育部》【教育部長】西角善勝1佐【計画班長】中野純人1佐【班員】牟田義正2佐・井口訓宏3佐・吉山浩司事務官【教育班長】森忠暉2佐【班員】青木治2佐・長塚恭一3佐・神崎秀彦1尉【運用班長】森洋2佐【班員】佐々木金助3佐・浅枝彪1尉【研究班長】中島政弘2佐【班員】新谷三男3佐

《装備部》【装備部長】眞館孝吉1佐【装備班長】外園三郎2佐【整備班長】深田利幸2佐【班員】筒井敏樹2佐【補給輸送班長】藤田勝男2佐【班員】森川清2尉【施設班長】宗石栄蔵2佐【班員】浦一徳2尉

【監察官】根岸俊吉1佐【安全幹部】大久保暢夫3佐【医務官】榎本侾1佐

【副官】木下賢二1尉 

❷ 昭和55年7月1日司令官及び幕僚長の人事異動により光崎修空将及び河原崎輝男将補が就任された。 

❸昭和56年4月頃のメモによると、飛行教育集団司令部の主要陣容は次の通りであった。

司令官】光崎修空将【幕僚長】河原崎輝男将補

《監理部》【監理部長】水野勇1佐【総務班長】牧田総洋2佐【班員】上野政3尉・嶋村次夫事務官【監理班長】清水治世3佐【会計班長】井上晃一2佐【班員】新村克彦事務官【補償班長】式田健事務官【基地問題対策班長】木元和雄3佐

《人事部》【人事部長】小澤重信1佐【人事第1班長】濵田喜己2佐【班員】森省二1尉・斎藤衛1尉【人事第2班長】小林一雄事務官【班員】矢野五三夫事務官【訓練班長】摺澤清2佐【厚生班長】柏木弘臣3佐【班員】杉尾定昭事務官

《教育部》【教育部長】炭山巌1佐【計画班長】中野純人1佐【班員】牟田義正2佐・井口訓宏3佐・平松康義事務官【教育班長】中村文保2佐【班員】碓井克典2佐・長塚恭一3佐・神崎秀彦1尉【運用班長】橋本光弘2佐【班員】国政光明3佐・浅枝彪1尉・木下賢二1尉【研究班長】中島政弘広2佐【班員】岸谷宏3佐

《装備部》【装備部長】水盛國夫1佐【装備班長】押田輝幸2佐【整備班長】野田昌信3佐【{補給輸送班長】北内秀雄2佐【班員】丹生誠2尉【施設班長】宗石栄蔵2佐【班員】谷忠2尉

【監察官】森忠暉1佐【安全幹部】城保徳3佐【医務官】曽根徳郎1佐

【副官】条幹雄1尉

❹ 当司令部における2年の勤務を終えて昭和56年8月17日、第3術科学校へ転任となるが、直前のメモによると、昭和56年8月初めの飛行教育集団司令部の主要陣容は次の通りであった。

司令官】光崎修空将【幕僚長】河原崎輝男将補 【司令部】中西昭雄1佐

《監理部》【監理部長】水野勇1佐【総務班長】大熊千房2佐【班員】上野政3尉・嶋村次夫事務官【監理班長】清水治世3佐【会計班長】井上晃一2佐【班員】新村克彦事務官【補償班長】式田健事務官【基地問題対策班長】木元和雄3佐

《人事部》【人事部長】小澤重信1佐【人事第1班長】濵田喜己2佐【班員】森省二1尉・斎藤衛1尉【人事第2班長】小林一雄事務官【班員】矢野五三夫事務官【訓練班長】吉村保郎2佐【厚生班長】達谷窟四郎3佐【班員】杉尾定昭事務官

《教育部》【教育部長】炭山巌1佐【計画班長】江口則光1佐【班員】碓井克典2佐・橋爪俊輔3佐【教育班長】中村文保2佐【班員】滝川守正3佐・長塚恭一3佐【運用班長】木下惠夫【班員】国政光明3佐・浅枝彪1尉・木下賢二1尉・条幹雄1尉

【研究班長】佐々木淳2佐【班員】岸谷宏3佐【保全班長】三浦博2佐【教育部】橋本光弘2佐

《装備部》【装備部長】水盛國夫1佐【装備班長】押田輝幸2佐【整備班長】野田昌信3佐【{補給輸送班長】北内秀雄2佐【班員】丹生誠2尉【施設班長】中原亭2佐【班員】谷忠2尉【装備部】宗石栄蔵2佐

【監察官】森忠暉1佐【安全幹部】城保徳3佐【医務官】曽根徳郎1佐

【副官】  鬼塚恒久1尉

  

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 《 昭和55年7月 飛行教育集団司令部の幹部 》

 

 2.   幕僚から見た司令官・幕僚長との距離感

 編制部隊の司令部勤務は、西部航空方面隊司令部、航空総隊司令部を経て、飛行教育集団司令部へと続いたが、階級・職位が逐次上位になるにつれて、司令官、幕僚長との距離感が縮まり、報告等接触の頻度も増加していった。 

    西部航空方面隊司令部、航空総隊司令部においては、部長、班長の下の一幕僚であり、俗にいう敷居が高かったように感じた。多分、司令官・幕僚長の目から見ればよほど特異な存在でない限り 一幕僚にとどまったと思われる。

 それに比べて、人事第1班長となると、人事に関する主務幕僚であり、司令官、幕僚長との距離は格段に距離が縮まった。常時、司令官、幕僚長室に出入りするほか定期のモ-ニング・レポ-トでは、部長と一緒に出席し、しばしば服務状況等についてブリ-フィングした。

 司令官・幕僚長との関係では、過去の部隊勤務で一緒に仕事をしたとかは全くなく面識もなかったが、在任間、他の班長と比較しても司令官・幕僚長室への出入りは多かったように憶えている。また、かって副官の経験もあり副官室との関係等も他の一般班長より随分距離が近かったように感じた。  

 司令部における幕僚勤務で指揮官との距離感は重要な要素である。司令部活動で専門幕僚として実力を発揮して指揮官を補佐できたかどうかの鍵は意外に幕僚自身の抱く距離感に左右されるからである。

 班長は専門幕僚であるが、部長の下にある班長であり、部長と班長間の相互の全幅の信頼と一体感があって初めて専門幕僚として能力を発揮できるものだ。小澤人事部長を心から尊敬し識見技能に感服していた。部長室への出入りも遠慮することなく誰よりも多く報告等を行った。

 こうした面では、幹部自衛官に任官して以来、どの部隊においても極めて上下の関係では恵まれた環境にあったといえる。   

  

3.    訓練検閲及び教育管理特定監察等 

 昭和48年8月、西部航空方面隊司令部に勤務するまでは、部隊において訓練検閲、戦力評価、態勢移行能力や特定監査、特定監察などもっぱら検閲等を受ける立場であったが、司令部勤務においては隷下部隊の訓練検閲等の検閲団等の一員として加わるようになった。

 飛行教育集団司令部勤務においても同様であった。隷下部隊は飛行教育を担当しており、各部隊の教育管理特定監察に当たっても監察団の一員として担当部門を担った。

 その分、司令部の多忙な業務といえども体力練成だけは心して自主的な訓練を行い、いつでも即応できる体力気力の保持に努めた。

 訓練検閲・教育査閲・戦力評価・防空態勢評価などについては、

2014-03-23  昭和の陸上自衛隊の思い出(3) 「血となり肉となった新隊員教育

2015-02-11 昭和の航空自衛隊の思い出(94) 「防空演習、戦力評価」

 で触れた。

 

f:id:y_hamada:20160118114854j:plain 《 昭和55年5月、第11飛行教育団に対する教育管理特定監察では、観察団(団長小野正明将補)の一員に加わった。》