昭和の航空自衛隊の思い出(140) 指揮幕僚課程選抜受験を胸に秘める

1.   幹部普通課程に学び心に芽生え

    昭和44年1月、2尉を5年6月在任して1等空尉へ昇任した。昭和36年2月3等空尉へ任官してから8年が経っていた。

 翌45年1月から4月まで東京市ヶ谷基地の航空自衛隊幹部学校(第11代校長今村博純空将)において第40期 幹部普通課程(SOC)を履修した。

 入校学生は105名、1尉が主力で、私は間もなく 35歳に差し掛かろうとしていた。学生の構成は、防大・部外・部内・航学など出身期別様々であった。

 一緒に勉学に励んでいるうちに、いろいろな会話の中でそれとなく指揮幕僚課程(CSC)が話題となり多くの幹部が目指していることを知るようになった。

   それまでは、CSのことは全く頭の中になく、自分にとっては曇り上のことで無縁のものと認識していた。周囲でも部内幹候出身者が受験することはごく少数であったように記憶している。その背景は1尉へ昇任し所定の年数を経たころには年齢等から受験資格がないといったことに起因していたように記憶している。

2.秘かなCS受験の動機と思い 

 幹部普通課程で学んでいるうちに、総務人事幹部として、将来目標である心に秘めた四つの命題(今後の航空自衛隊の発展充実に対応して「総務人事業務はどうあるべきか」、「空曹の役割と活躍の場はどうしたらよいか」、「離島等の勤務者の処遇と人事管理はどうしたらよいか」及び「青年隊員の服務指導はどうしたらよいか」)に取り組み本格的に施策等を実現するには、単に現場で努力するだけはなく、それなりの実力・識見技能を高め、施策等の立案に参画・寄与する階級と配置・職位につくことが必要であることも認識するようになった。

3.1回のCS受験チャンスに挑戦してみようか

 そこで指揮幕僚課程(CSC)選抜試験の受験資格を調べてみると、昭和44年4月から3佐又は1尉2年以上、年齢37歳未満であった。1尉の在級年数と年齢から1回だけ受験できる機会があることを知った。

 この時点でわが胸中にひそかに「1回だけでも挑戦してみようか」という淡い思いが芽生えたのであった。このような難関に挑戦してみる人生があってもよいのではないかと思うようになったがひそかに胸中にしまった。

  当時、部内幹候出身者でCSを卒業した者は各期に1名いるかいないか、指折り数えるほど聞いていた。旧軍の陸軍大学校海軍大学校に相当するといわれていた航空自衛隊の最高学府である幹部学校の指揮幕僚課程(CSC)選抜試験に挑戦してみようかというきっかけを幹部普通課程の履修がもたらしたのであった。

  この時、部内幹候出身者として、1尉の在級年数と受験上限年齢から受験資格は1回しかなかった「指揮幕僚課程(CSC)学生選抜試験への挑戦」であった。 

4.日常の職務に重点をおいた受験準備

 当時、基地業務群にはCS卒業者は皆無で教えを乞う人はいなかったが、購読していた「幹部学校記事」等から受験の傾向と対策なるものの手がかりをつかみ、受験準備をしていった。

❶ 受験職域を「人事」と決めた

 受験職域は、すでに「要撃管制」を離れたので、現在配置である「人事」とし、将来方向を明確にした。

❷ 日常の実務を通じて受験準備

 毎日の日常の業務を通じて、現在及び将来の諸問題は何かとの問題意識をもって取り組むことが、受験準備につながるものと考えた。実務即研鑽の図式とした。その態度は空曹時代からそのようにやってきたので継続した。

 基本原則を現実と照らし合わせる

 「指揮要綱」「指揮幕僚」等の基本教範等を熟読吟味し、理解するとともに、現状の隊務及び指揮幕僚のあり方と照らし合わせて、その本質と何が問題であるかを考察することにした。今までの16年間の自衛隊勤務経験と見聞を顧みて自分であったらこうするという自分の考えと所信・信念を明確にすることに努めた。

❹ ひそかに生活すべてを受験体制にした

 特別な準備をするのではなく、今までやってきた新聞一つでもテ-マを決めて切り抜きなども活用目的を明確にし、二-ス・話題の本質と問題点は何か、最善の対処方策は何かについて、自分の考えをまとめることにした。頭に思い浮かべるだけではなく極力自分の考えを文章にまとめることに着意した。

 妻には特に受験のことを話したことはなく、今までの日常生活を変更することなく過ごすことにした。したがって、他から見ると私の勤務及び生活では何らの変化もなかったように映ったのではないかと思う。 

 

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《 航空自衛隊幹部学校のシンボルマ-ク 》