浜ちゃん日記 浜松フォトフェスティバル25周年記念講演

1. プロ写真家の道

 今日は、浜松フォトフェスティバルの最終日、(9/8〜9/14・浜松写真連絡協議会主催・浜松市中区クリエート浜松)であり、午後1時から3時までアメリカ在住の写真家小池キヨミチ氏の講演を拝聴した後、5時の閉幕行事、撤収作業に参加した。

 自分にとっては、プロ写真家の講演を聴くのは、初めてであったので興味深く話を聴くことができた。 特に、プロの写真家が何を考えて撮影に臨んているのかを知りたかった。

    当然のことながら、写真プロとしての道を歩み、極めるには他人が知ることができない厳しい自然環境・死との対決等の試練を得て、自分なりのものを得るに至ったことの一端を知ることができて有益な講演会であった。

 世の中どの分野においても、プロ・専門家としてその道を極めることは、言葉、表現の仕方が違うだけで同じような厳しい道程を経て至るものだということであろうか。

 

2.講演で心に残ったこと

 私の心に残ったものを認めおきたい。

〇写真は、撮るものではなく撮らせてもらうもの。

◯自然は、畏敬の念をもって訪れるものを手ぶらでは返さない。

〇写真は、型にはまらないもの、感性であり、人間性である。

〇写真には、今までやってきたことは無駄ではない。いかなる経験、成功や失敗も生きてくる。

〇写真は、撮影者が放つ波動と被写体が放つ波動が呼び合う。

〇作品に対する思いは、誇りを持つ、気づく感覚である。

〇被写体とのつながりは、心を通わすと、波動、エネルギ-が画面に現れる。画像に映る力がある。

〇日本独自の写真文化を作りたい。

 

 3.写真文化についての所感

 私は写真業界のことについては全くの門外漢であるが、日本ではプロの写真家といえども、トップとならない限りそれだけでは生活が成り立たたない現実があると伺った。

    日本の写真文化は、水・安全がタダと受け止められていると同様に写真もタダという価値観があることに起因するのであろうか。今回の講演でも写真文化についての価値観についてふれられ提言された。

 プロの撮る写真は、単なる趣味や遊びではない。そこに芸術としての金銭的な価値が生まれる必要がある。職業として生計が成り立たなければ二足の草鞋を履かざるを得ない。プロの写真家にも厳しい現実があることを認識させられた。

 家庭に高名な絵画が飾られ、資産としても価値あるものとして認められるように、日本の写真文化も進展する日がやってきてほしいものだ。   

    まさに「お宝として写真が披露される日」がいつの日かやってくるのであろうか。このときが日本の写真文化が定着し花開くときであろう。

 

 記念講演 

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《 プロ写真家 小池キヨミチ氏、1959年静岡県浜松市生まれ。1983年米国永住、2001年同時多発テロ事件を契機に本格的に写真作家活動を開始。日本で個展6回開催。 》

  

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 《 プロ写真家 小池キヨミチ氏の作品、デジカメでプロゼクタ-画面撮影 》

 

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《 9月14日午後5時閉幕、多数の出展・観客で大盛況であった。浜松ケ-ブルテレビで放映された録画を視聴した後、作品の撤収等の作業が円滑に行われた。》