昭和の航空自衛隊の思い出(24) 永年の自衛官生活を振り返って

その時何を考え立ち向かったか      

    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っている。
    「永年の自衛官生活を振り返って」は、今から25・6年前の航空自衛隊の定年退官(平成2年4月)が近づいたころに記した所感である。
 自衛官生活を一口で言うならば、俗にいう「水が合っていた」といえる。これはきれいごとや誇張でもなく実感であった。
    訓練、勤務に対して、積極的に取り組み、毎日が新しいものに立ち向かう感じで、いつの時代も新鮮であったように記憶している。
 自衛官生活を振り返って、私が他と比べて特別だったわけではなく、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
 自衛隊を旧軍視したり、閉鎖社会と勘違いしている人たちからすれば、想像できないほど全く異なった新生航空自衛隊であった。
    どこの社会・組織でも問題を抱えているものであるが、それらを解決すべく立ち向かう開かれた組織であったように思う。
 今読み返してみて、当時の自分の気持ちがそのまま続いてることを確認し、私の人生はこれで良かったのだと思った。
 
 
「永年の自衛官生活を振り返って」
 私は、自衛隊に奉職し、今年で34年を迎えた。1年後には定年退職する。昭和29年高高校卒業後、陸上自衛隊を経て空へのあこがれとパイロットへの夢を抱いて航空自衛隊に入隊した。以来、防人として国の守りに専念し、ここに任務を全うして無事に退官できることに限りない喜びと誇りを感じる。
1.自衛隊に対する満足感と感謝の念
 自衛隊は、私の人生の主活動期を過ごしたところである。操縦学生課程の厳しい修練、部内幹部への選抜試験、指揮幕僚選抜試験への挑戦と入校、作戦運用から後方業務への幅広い業務に従事した。
    2年に1回ぐらいの各地への転任、数多くの上司・同僚・部下との出会いと教育指導・支援、勤務地での様々な人たちとの交流、数少ない単身赴任と家族の絆等々忘れられない多くの経験をした。
 これも仕事一筋に一生懸命に働けたこと、積極的に創意工夫し、任務達成に精進し、働き甲斐、生き甲斐のある日々を過ごせたことは大きな喜びである。
    航空自衛隊の創設期に入隊した私にとって、航空自衛隊の歴史とともに歩んだとの実感を深くする。
 この34年間を支えてくれたものは、上司・同僚・部下の支え、家内の内助のほか、私の性格、健康、能力が自衛隊という組織体に比較的合っていたように思う。
    職務を全うして退職できることは満足感と限りなく感謝の念でいっぱいである。
2.自衛官生活が私に与えてくれたもの
❶ 誠実・誠心をもって事にあたれば他の信頼を得ることができる。
 仕事や人間関係において、誠実・誠心を持って臨んだ結果、上司・同僚・部下からはそれ以上のものを与えられ、人間的に大きく成長したように感じる。
❷ 積極的に仕事に取組み、目標に向かって継続して努力すれば成果が上がる。
 地味な仕事でも黙々と努力すれば、着実に成果が上がり、大きな仕事を成し遂げることができる。人生に対して強い 自信をつけてくれた。
❸ 健康は充実した仕事をやり遂げるための基盤である。
 病気らしい病気もせず、健康にして毎日を楽しく過ごせたことは最高である。身体髪膚これ父母に受くで両親に感謝している。
 
  自衛官生活は、自分の人生の一つの道程である。したがって定年は通過点であり、次なる新しい人生の出発点である。自衛官生活にしっかりと区切りをつけて、明日に向かって前進したい。
 

f:id:y_hamada:20140906004311j:plain

《 平成2年4月1日退職 第1航空団司令兼浜松基地司令田所健将補と握手を交わし、晴れやかな気分で自衛隊を去った。》