昭和の航空自衛隊の思い出(233) 第3術科学校勤務を命ずる

1.その時何を考え立ち向かったか 

    「昭和の航空自衛隊の思い出」は、昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば操縦学生から転進した部内幹部出身であったということぐらいであろう。
 航空自衛隊は、一昨年、創設60周年を迎えさらなる充実発展を遂げている。長年の懸案であり待ち望んだ安全保障体制が逐次確立されつつあり、本年は平和安全法制が施行され、新たなる時代を歩み始める。
    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
 
2.  第3術科学校勤務を命ずる
    術科学校は かって空士・空曹時代に整備学校(現第1術科学校)総務課に勤務し、本部の機能・業務の一端にふれた程度であった。
   この後、部内幹候を経て要撃管制幹部から人事幹部となり、現場の部隊勤務はもとより各級司令部勤務を経験させてもらった。この間、職務を遂行しながら自己練成のため色々な経験をさせてもらい、鍛えに鍛えてもらったことにより今日があることを強く意識するようになった。
    特に、大きな転機となった指揮幕僚課程を学ぶことができたのは多くの皆さんのお陰であった。当時想像もしなかった上級司令部勤務をしながらいつしか航空自衛隊の発展と後輩の大成のため、「後継者の育成」は自分に課された責務であると考えるようになった。
    そのため、司令部勤務においては自らはもとより部下を厳しく鍛えることとした。しかし、司令部勤務を通じての後継者の育成は少数の部下にとどまるだけで限定されていることから、術科教育の場でその役割が果たせないものかと考え教官配置を希望していた。
 こうしたことから、第3術科学校勤務、しかも教育現場で術科教育に従事できることに胸の高鳴りを覚えたものである。それは育てた後輩が将来、航空自衛隊の人事総務担当者となって部隊指揮官を補佐したり、部隊の先任空曹として大活躍を期待できる「ロマンのある職務と役割」であったからであった。
    かって昭和43年8月から3ケ月人事幹部課程に学んだ卒業生の一人が13年後に母校の教官として赴任することになったのである。
 
3.  浜松から芦屋へ単身赴任
 浜松から芦屋基地への赴任は自動車で家内と一緒に神戸港から阪九フェリ-で九州小倉に上陸して、基地に隣接した官舎に入居した。
    阪九フェリー春日基地の西部航空方面隊司令部赴任の際にも利用した。関門海峡を通った時に甲板で眺めた情景は未だに忘れていない。
    一応自炊できる炊事道具一式を別便で発送し準備した。生活体制を整えてから妻は帰浜した。
 今回の異動は高校・中学・小学に在籍する子供の教育面から初めて単身赴任をすることにした。結婚してから家族帯同を基本としてきたが、高校の中途転校等からやむを得ず単身を経験することになった。
 家族は、妻の実家にあづけて、正月等を除き、自分が家に帰るというやり方ではなく、逆に家内に芦屋に来てもらうことにした。子供たちには学校の休みの時に時折任地へ来てもらうことにした。父親の任地・地方を知ってもらうことにした。
 
4.  自然環境に恵まれた芦屋基地の概要 
 当時の 芦屋基地及び町の案内パンフレットによると、次の通りであった。芦屋基地は昭和43年8月に第32期人事幹部課程学生として入校したことがあるのでふるさとへ帰るような気持ちであり、安心感があった。
 

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《 芦屋基地正門及び 第3術科学校長兼芦屋基地司令柳田義人将補、第13飛行教育団司令大圖勝美将補   )    
 

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《 芦屋町及び周辺 》