1.誕生日
満79歳となった。数えで言うと世間でいう傘寿を迎えたことになる。 昨日朝、食卓に向かったら家内が誕生日おめでとうと声をかけてくれた。起床した時、全くそのことに気がつかなかった。
自分の誕生日は当然忘れるわけがなく、今月は誕生月であることは十分承知していたが、日にちの感覚が薄れているせいであろうか。
馬齢を重ねるとそんなものかもしれない。この歳になると誕生日そのものがそれほどの意味がないのであろう。言われてみて「ああ一つ歳をとったか」という感じである。
常日頃は、歳のことを考えないで行動しているので、よく家内から「歳を考えて」と忠告?を受けることがある。そうしたことで私にとって、誕生日は「そんな歳になったか」と自覚し、自重する日となった。まさに「人生の節目」と言える。
2.長寿の祝い
長寿の祝いは、還暦(かんれき)・数え61歳・満60歳、古稀(こき)・ 数え70歳・満69歳、喜寿(きじゆ)・数え77歳・満76歳、傘寿(さんじゆ)・数え80歳・満79歳、米寿(べいじゆ)・数え88歳・満87歳、卒寿(そつじゆ)・数え90歳・満89歳、白寿(はくじゆ)・数え99歳・満98歳、百寿(ひやくじゆ)・数え100歳・満99歳などがある。
これら長寿の節目は、昔から数え歳でお祝いしてきているが、最近では満年齢で数える人も多くなってきたようである。それは戦後、すべて満年齢で数えることが多くなったせいであろうか。
今年は3月に結婚50年となったが、がんの再発等があったりして入院治療で記念旅行も果たせないでいる。
昔風に言うと、傘寿を迎えたことになるが実感は全くない。一つ言えることは、大東亜戦争終結当時の子供の頃、お爺さんやおばあさんを見て思ったことと同じように、時代は変わっても今の子どもの目から見たら同じように見られているのかなぁと感じることがある。
考えてみると当時のお爺さんおばあさんの大半は今の私より15歳~20歳近く若かったのである。どのように子供の目に映っているのだろうか大変興味がある。
現代は当時と違って、平均寿命が延び、労働年齢、生活環境、価値観すべてが変わって生きたので比較すること自体に無理があるのかもしれない。
私自身は満年齢を基準にしてもらいたいくらいであるが、数えや満年齢であろうが、こだわりなく、お祝いには素直に「ありがとう」と、その都度、臨機応変に対応している。
世間並みに、傘寿・80歳を迎えたといわれても、ここまで来ると、特別に意識することもない。自然体で淡々として誕生日を迎えたといつてよいであろう。
3.これから何ができるか
誕生日は毎年来るもので、特別の感慨はないが人生の節目である。この時期に「どれだけ生きられるか」と深刻に考えたこともないが、世にいう「余生」であろう。おまけの人生であろうが、自分なりに悔いのない人生を過ごし天命に従うのみと割り切っている。がんとの闘いも同じである。
世に言う毎年発表になる平均寿命にもあまり関心がない。平均値であって自分の寿命ではないからである。ただ、はっきりと言えることは,男性の場合、80歳越したらいつお迎えがあっても天命であり、90歳をすぎれば天寿であるとも思っている。百歳ともなれば賀寿そのものであろう。
問題は、日常生活の質である。どんな状態であろうと自分の考えている生活が続けられるかどうかであるが、これだけは何人も将来を見通せない。自分の目標とする質の高い生活などたわごとかもしれないからである。
先日のシニアクラブの定例会に、乳母車を曳いて参加された99歳を迎える最長老の女性会員に最敬礼している。毎月参加して皆から元気をもらうとおっしゃっていた。それからすると、私ごときがぼやいてはいられない。
生きている限りは、「これから何ができるか」多少高めの日常生活の目標を設定して生活しようと思った。