がんとの闘い(36) 入院雑感

1.恵みの雨

    今日4月18日は、朝方から久しぶりの恵みの雨である。浜松地方は多分20日間位雨が降らなかったような気がする。

    入院する直前に、浜松市西区神原町花の会(花美原会)の花畑を確認したら、土壌は乾燥しきって、硬くなりポピーの成長が止まつているようであった。

   入院間に、  降雨を予想し、肥料を少し散布し成長を促進させたいと意図したが、一向に雨が降らず、雨乞いをしたい気持ちであった。

    植物の成長にとって、水分は欠かせない。家庭の鉢植えであれば、人の手で水をやることができるが、花いっぱい活動はボランティアであり、基本的には自然に任せた花畑を目指している。

    植物の成長力、自然の恵みと人間の努力が結び付いて素晴らしい花畑を作り上げることができる。

    休耕地を利用しての花いっぱいの形成であり、1500平方メートルの面積であることから、雑草の管理に力を入れている。

    何事も必要条件が整わないと成立しない。どのようにその条件を一致させるかが、人の知恵であろう。  

    その人間の英知をしても乗り越えられないものがある。

     自然現象もその一つであろう。現代科学をしてかなり克服できる面もあるであろうが、自然の力には逆らえない。更には、科学的に解明出来ないこともあるであろう。

     理屈ぬきで、恵みの雨である。ポピーも喜んでいるに違いない。

     人生においても同じだ。困った時、窮地にある時、恵みの雨と同じように、助け舟が現れると危機を抜け出すとができる。

 

2.身体の回復力

    人間の身体の復元力、回復力は素晴らしい。手術後は傷ついた身体も数日でメキメキと回復する。

    手術当日は身体全体が緊張感に溢れているので、思ったほど疲れを感じないが、翌日になると、緊張が取れて、安心感で少し身体にだるさを感じたものであるが、時間が経つとそれもなくなった。

    個人、年齢等によって差があるであろうが、入院し予定の治療を受けて、皆それなりに元気になって退院して行く。

    自分を含めて高齢者もそれなりに着実に回復していく姿を見ると、身体の神秘な回復力に驚くばかりである。

 

3.一期一会

   「一期一会」「袖振り合うも多生の縁」という言葉がある。大部屋の病室の中でもこの言葉は生きてくる。

    入院は一時のことであって、同室の患者は他人であって、無縁の人だと思えばそれなりに過ごすことできる。特段の支障もなく退院することができる。

    縁あって、同室になったと思えば自ずと接し方が異なってくる。

顔を合わす場面は多い。大抵の人は「おはようございます」を交わし、時には立話、退院にあたっては「おめでとうございます」「お大事に」と別れる。

    あからさまに病名から経過を話す人とは打ち解けあって、いろいろと話をすることもある。お互いが病院内でのひと時であることは分かっているが、時折あの人は元気かなあと思い出すことがある。

     同じ部屋で、この1週間だけでも退院3名、入室4名、いかに出入りが頻繁かがわかる。入院を待つ人が多いので、ベッドが空けば直ぐ新しい患者が入ってくる。

     たとえ短い入院生活であっても人生、「一期一会」「袖振り合うも多生の縁」を大切にしたいと思う。

 

4.  入院生活さまざま

    患者の中でも、病気の種別を問わず、若い世代の入院は痛々しい。働き盛りであり、家族はあり、小さな子供がありだと入院は深刻である。

    はたから見ていて一日でも早く仕事へ復帰したいとする心情がよく理解できる。有給休暇を使って入院したりしていることもある。私のように間なく79歳となる者には何の憂いもなく治療できることは幸せである。

     4回も入院生活をしているとさまざまな場面に出会う。

    ある時は、夕方になるとデイルームの一角に、若い夫婦と小さな子供が一緒になって持参した弁当を顔を付き合わせ食べる姿が見られた。患者がお父さんの場合であったり、お母さんの場合であったりした。

    また、ある時は、若い共働き夫婦のどちらかが入院して、仕事を終えた帰りに、定時の夜の7時頃に立ち寄ってしばし、デイルームで話し込んでいる姿が見られるなど病気の与える波紋はさまざまである。

    人生には入院という予期せざる苦しい時があるものだが、弱音を吐かず雄々しく立ち向かっていくのが多くの人の生き方である。皆それぞれが静かに「病気との闘い」をしている。病院の片隅から人間模様が見えてくる。