がんとの闘い(35) 管が抜け楽になった

1.  管が抜けて楽になった

    希望の朝が訪れた。男性のシンボルに取り付けられた管が抜ける日である。

    昨日は医師の処置はなく、血尿もなく、きれいなので、「明日は管をとっても良いね」と告げられていた。この手術で患者にとって、一番苦しいのは管をつけている間であるからだ。管がなくなると、「万歳」が実感である。

    今日は、午前9時30分処置室において、医師から管を抜いてもらった。あっという間の一瞬であつた。楽になった。重しが取れた感じだ。後は時間の経つのを待つのみである。        

 

2   病衣さまざま

    入院にあたって、病衣は病院で用意するものを借用することにした。定期的に交換があり清潔である。時として、汚れたときはいつでも新しいもに交換してくれる。

    病衣を着用する理由は、清潔に身体や病室内を保つ衛生面からくるものと理解ている。

    病院生活していると、本当に院内全てにおいて衛生管理に万全を期しているのがよく分かる。病衣もその一環だと考えてよいであろう。

    入院時着て来た私服はしまい、終始入院間は病衣を着用することにしている。これが私の常識であるが、今やトレパンなど様々である。

    少数派であるが、若い患者は、先ほどまで病衣だったのに、トレパンになったり、普通の服装になったりしているよをよく見かける。世代の服装に対する観念の相違であろうか。気分転換になることは確かなように思える。

   病衣は、自分で用意した物であろうが、病院借用のものであろうが、その選択は本人の自由である。

    病衣そのものについての時代のものの考え方の違いであろうか。その是非はともかく、時代が変わって来たことを強く感じた。

 

3.医療従事者の服装

     一般社会においては、職業・業種によって、着用する制服等はさまざまである。当然、仕事がしやすく安全につながる服装が第一であろう。次にはたから見た目でどう感じられるかであろう。

     仕事着・作業服として 制服などを決めるに当たっては、組織体をあげて、機能面、完全面、外観、信頼、人気などはもとより、材質、経費とありとあらゆる面から検討し、プロの手でデザイン・作製され制定されるであろう。部署ごとに異なるのも当然であろう。

    最近の看護師さんの服装は、色物で多色となってきた。昔は「看護婦」さんといえは「白衣」との強いイメージであった。

     今は白衣を含めて、数種類を自分で選択して着用しているようであるが、色物はカラフルで、柔らかく、違和感を感じない。これも服装に対する時代の変化であろうか。

    流石に、男性看護師が色物を着ているのを見かけない。白で端正な看護服でカッコ良い。

      手術室では、手術に適した服装で安心感がある。

    医師は、昔とほとんど変わっていない。白でパリッとした端正な服装が信頼感を呼ぶように思う。

   日頃、服装に無頓着で、 普段考えたこともない医療従事者の服装を観察することになってしまった。これも入院したからできたことある。

    

4.読書等

    患者で、結構、本を読んでいる人を見かける。私も数冊持ってきた。現在のところ一冊読んだだたけであるが、新聞の方が手早い。

    毎日、家内が来院する度に持って来てもらい、じつくりと読んでいる。テレビもいいが、もっぱら新聞+本といったところである。テレビは、演歌を中心としたものが楽しい。

    スマホを使ってブログを書いているが、これはできる範囲で書いている。

    日誌は最初の入院した時から「がん闘病記」と題して自分なりに記録している。時系列的なことがらもあるが、その時感じたことなどを認めている。

    従って、結構、暇のようでやることがあり時間が過ぎていく。いろいろとあれやこれやと考えたり、悩むことがないのが最大の効用であろうか。