茶臼山高原の 爽やかな心地よい風に秋の気配を感じた!
《 茶臼山から眺めた荻太郎山・芝桜で有名な天空の花回廊はしばしば訪れた。ケ-ブルで登ったり、歩いて登ったり下りたりするといろいろな発見がある。》
《 茶臼山高原の中腹、心地よい爽やかな風が吹き秋の気配を感じた。高原に来た~という気分が高揚する。青空と入道雲がぽっ~んとある樹木を一層引き立たせてくれる。背景の雲が絵になるまで待てば
きっと良い写真が撮れそうだ。あきらめて帰路に就いた。》
一昨日8月20日朝、仕事が休みの長男が、「どこか行ってみないか」と声をかけたので、「茶臼山を散策してみよう」ということになった。
午前10時息子の車に、家内と二男の孫2人が乗り込み、天竜奥三河国定公園茶臼山高原に行き、西ル-トから1,415mの山頂まで登り午後5時ごろ浜松へ帰ってきた。高原の良い空気を吸い、大汗をかいて気分爽快であった。
下山時の急な坂道は小学2年の孫の手を握って、滑らないように手助けしてやった。こんなに長い時間お互いが手を握り合うことは久しぶりだった。
振り返ってみると、60歳代から72歳前後までは、自分が運転し、夫婦でよくあちこちの低い山登りをしたものだ。それが70歳代後半になると徐々に減っていった。今年は3月の左腎臓尿管全摘出術を受けて以来、初めての山登りとなった。
茶臼山だけではもの足りなくて、続けて萩太郎山に登ったこともあったことが思い出された。
この頃はどちらかというと78歳という年齢的なこと、大手術を経験したことを理由に自制をしているきらいがある。
気力はかなりあると自負しているが、体力がそれについていかないようだ。両者のバランスが崩れてきたことにある。
老いるとはこんなことかと自覚するようになった。
反面、周りの高齢者をみると、結局、「自分を自分がいたわりすぎて」そこから「気力体力の減退」を目にしているだけに、そこから抜け出したいという気持ちが強い。
これから先、衰えていく気力体力と健康管理をどのようにしていくか、どのように自分自身とつきあっていくか、どのようにおり合いを付けるのかは、医師でもなく、家族でもなく、自らの課題である。
きっと月日がたつにつれて自然と解決されるのであろうか。
茶臼山の散策を通じて、自分を顧みる一日でもあった。