家庭の国旗がめずらしい国! いつか訪れたい国旗が連らなる集落!

 
今年元日の朝 わが家の玄関に掲げた国旗!

今年5月子どもの日の朝 のぼる朝日と国旗!

 この間、写真クラブの合評会に、わが家の国旗を題材にしてみた。えらく《めずらしがられた》
今話題の《空飛ぶ広報室》でも自衛隊の国旗降下の様子が出ていて在隊時や子供のころを思い出した。

 私は鳥取県の中央部に位置する湯梨浜町(町村合併前は「羽合町」と言っていた。現職時代は日本の「ハワイ」の出と自慢していたが、残念!)の宇野で昭和10年に生まれ育った。日本海はわが家から100メ−トル先にあり、いつも潮のかおりと波の音を聴いて育った。
小学生の頃、私の仕事はたまに農業を手伝うこと、夕方風呂を沸かすこと、冬は雪が積もったら朝玄関と家の前の道路の雪かきをすること、祝日には国旗を掲げることだった。

 航空自衛隊に入隊してからは、一日の勤務が国旗の掲揚で始まり国旗降下で終わる生活であった。どこにいても仕事を中断して、掲揚・降下の時はその方向に姿勢を正した。特に、ラッパの吹鳴が伴うと感動的だ。 
 朝は一日の始まりを心に誓い、夕べには充実感と満足感を覚えたものであった。しばしの間、姿勢を正すとおのずと身は引き締まり、気持ちを新たにできる一瞬であった。人間には理屈ではない心に響くしばしの時間が必要だ。

 子どもの頃の記憶では、祝日はどの家にも国旗が掲げられたものだ。特に、物心付いたときからの私の大きな仕事でもあったので鮮明である。
 家庭を持ち、転勤族の一人として各地を勤務するたびに一戸建ての宿舎であれば祝日には必ず国旗を掲げたものであ。退官して自宅を持ってからは、祝日には必ず国旗を掲げてきた。自分が不在の場合など家族が必ず玄関に国旗を立ててくれる。好天用と荒天用の二つを使い分けている。

 このごろ祝日に街中を走ると国旗が掲げられた家が少なくさびしい限りだ。どの国でも当たり前のことがこの日本では今の間にか欠けてしまった。《世界の常識》《日本の非常識》が言われて久しい。オリンピックの時だけの日の丸となってしまった。まともな国になるのはいつであろうか。

 15年ぐらい前、佐久間ダムに近い?山間部のある集落を車で走っていたとき、集落の家々に国旗が掲げられており、感動したことがある。どうしても正確な場所を思い出せないが一度はその集落に行って写真を撮ってみたいと家内と話し合っている。
その時はきっと、その集落に住む人々の心に触れて、感動的なスナップ写真が撮れるであろう!