昭和の航空自衛隊の思い出(244) 教育技術講話(7 ) 「心に残る身につく教育」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」

  昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任者となった。各課程教育は課程主任と教官が配置され教育を進める体制にあり、科長の職務は各課程主任及び教官を統括し、管理監督することにあった。

   こうした教育体制下において、科長としての担当課目のほかに、随時、教育課目の合間に当該課程の対象者に応じた内容の短いワインポイント的な講話をすることにした。

    当時のことを振り返ると、当該課程を学ぶ隊員・後輩・後継者に将来の活躍を期待して職域・職務・配置に求められる核心となるものを語りたかった。

   入隊以来、先輩たちに育てられてきた。それなりに隊務を経験してからは、職務を通じて後輩・後継者を育てることを常に心がけてきた。いつの日か教壇に立つ日があるとすれば、自分の言葉で、先輩たちから教えられ、経験したことの真髄を語り伝えたいという夢を抱いてきた。

 その内容は、自衛隊生活で経験し学んだことの中で、是非、後輩隊員・後継者に伝えたいこと、今後の勤務において迷いがあるときの道しるべとなり、職務上悩んだ時、壁にぶつかった時に参考として活かしてもらいたいことなどを自分の言葉で直接語ることにしたものであった。

   特に高邁な話でもなく、学問的なものではない。自衛隊における勤務年数と経験においては学生より数段勤務年数と多種な経験を有する先輩の立場から、教範・教程・配布資料にかかれていない事柄を中心に学生に話しかけた。

 新任教官に対する教育技術課程においては、「教育技術雑感」として7話を講話した。講話をした後、例話など省き、その日のうちに、要旨のみ印刷配布した。

2.講話その7 「心に残る身につく教育 」

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                                       「心に残る身につく教育 」

1 心に残る教育は、教官と学生との間に心のふれあい、交流があってできることである。

    これは、後継者を育成しようとする情熱・使命観と教官職が第一線のパイロットと同じく、教育は「戦い」であり、真剣勝負であるという確固たる信念と教育観から生まれる。

2 身につく教育は、プロとして実務のツボを押さえコツを教え学びとらせ、部隊等の実務に役立つ教育を行うことである。部隊等で真に役立つ後継者を育成しょうとする情熱あれば、自ずと教育のやり方に創意工夫が生まれる。

 教官にとって大敵は、マンネリである。教育の場数を踏めば踏むほど、より解りやすい、やさしい教育へと創意工夫する態度が大切である。

3 心に残る教育と身につく教育とが調和したとき、教育の成果が上がる。

    教官にとって教育は主任務であり、教育の現場は、戦いの場である。教官職に対する誇り、喜びと後継者に寄せる期待とロマンを胸に秘めながら、教育任務に従事したいものである。

《 7話終わり 》

 

3 教育技術課程の総括

 当時、各術科学校は、所属する新任の教官に対して、各学校で教育技術課程を設けて履修させていたと記憶している。国鉄の鉄道学園等他の職業教育機関の教育方法など研修したりした思い出が残っている。

    航空自衛隊の術科教育は、空自の特質を踏まえて、旧軍、米空軍、他自衛隊など先人たちの英知を取り入れて確立充実されていった。 

 教育技術は教官となる者に対して、教育諸計画、教授方式、学習の原則、教育資材、教育管理及び教育評価などが主体であった。

 時代が変わり現在は、教育技法、コンピュタ-、視聴覚装置など想像もつかないほど充実したものと思われる。

   かって、昭和30年初頭陸上自衛隊で受けた新隊員教育で小隊長の見習い幹部の見事な教育ぶりが思い出された。自衛隊勤務のいたるところで同じ様子を見てきた。感動がそこにあった。教える側と教わる側の心が一致した情景が見られた。優れた教育体制のなせるものであろうか。

    教育技術課程学生に話した短い講話は、今読み返してみると、要点のみでつたない内容ではあったが、術科教育の要諦は今も昔もいささかも変わらないものがあるように思われる。

  術科教育は、教官の後輩・後継者を育成する情熱をもって、常に学生を惹きつけ、実務に直結した教育を目指すドラマ〔授業)づくりへの努力にあるのではなかろうか。

 自衛隊における教育訓練は、「教官」という名称はつかないが、誰もが、いつの時代もまず育てられ、いつの日か育てる役割を担うことの循環の連続であったように思われる。

 そこには「任務遂行につながる」「人を育てる」という大きな役目を背負って、常に研究・改善・向上に努め、部隊で活躍する隊員の姿を描き、大いなる夢と期待を託してきた。教育現場から離れても、教え子たちが黙々と任務に励む姿を見たり、声をかけられたり、年賀状をもらったり、飛躍している様子を知るたびに嬉しくなったものである。良き時代に術科教育に従事できたことに感謝している。