昭和の航空自衛隊の思い出( 59) 青年自衛官時代に受けた恩返しと使命

1.  勤務を通じての報恩の原点

   私が自衛官生活で常に心がけたことがある。それは「お世話になったらその分お返しをするこれが人の道である」と思ってきた。

    たいていの場合、勤務でお世話になった人には直接恩返しはできないので、違った形で、その時代の各勤務部署での勤務を通してそれなりの報恩をすることに努めてきた。

     部内出身の幹部自衛官になって以来、自分が考えていることが実行できる階級と職位に就いたあかつきには、ぜひ実現したい夢をいくつか抱いていた。

     それは、陸上自衛隊で体験した血と肉となった新隊員教育、第1期操縦学生としての基礎教育、英語教育、飛行訓練で学んだこと、次いで整備学校(現第1術科学校)での実務と内務副班長・班長の経験など自衛官として進むための基盤をしっかりと身に着ける機会を与えてもらったことである。

  

2.  恩返しは後継者育成が自分の使命 
 私が首尾よく部内幹候選抜試験に合格できたことは、整備学校(現1術科学校)上層部の受験指導、総務課全員の暖かい応援のお陰であり、深い感謝の念を今日に至るも持ち続けている。
 部内幹部として、単に階級が上がった、幹部になったといった表面的な事ではなく、一番嬉しかったことは、国家防衛の任に就きながら少しでも自分の意思・考え・方策が職務を通して具現化できるようになったことであった。
 幹部候補生学校を卒業し、幹部術科課程を経て初めて部隊勤務となった。初級幹部の練成の時代は自分の識見技能を磨くのに一生懸命であった。いくつかの部隊勤務経験を積んで、それなりに班長職等に配置になって幹部としての職務が果たせるようになったとき、どのように恩返しをしていったらよいかを考えるようになった。
 特別なことではなく、ごくありふれたことではあるが、自分に与えられた職務を通して恩に報いることが一番自然で無理のないやり方であると考えた。その主軸となったものは、ごく当たり前で平凡な「後継者の育成」であった。
 それからは、自分なりの「後継者の育成」という課題を胸に秘めて、実行・実現するするよう心掛けた。
     現場の部隊でコツコツと努力してきたが、思い切り進めることができるようになったのは、何といっても指揮幕僚課程(CSC)を卒業し、各級司令部勤務をすることとなった頃からであった。幕僚勤務を通じて、長年の課題に真正面から取り組むことができるようになった。
    それは、「後継者育成」の具体策の推進であった。その時々の与えられた職務と立場で、「先任空曹の役割と位置付け」「空曹の役割と地位の向上」「幹部試験への挑戦」「人事業務の運用の在り方」「指揮官の補佐と幕僚の在り方」などを論じ、小冊子を作成したり、話をしてきた。ほんの小さな努力ではあったが、自分なりに報恩の手応えを感じた。
 
3.小冊子のまえがき
     35年余の自衛官生活の後半は、いろいろな部隊等に勤務する機会を与えられ、人事教育に従事することとなったことから、幹部への選抜試験の指導等にかかわることとなった。後継者の育成という立場から、それぞれの部隊等において部内・3尉候補者の選抜試験に挑戦した幹部に「幹部への道」と題した合格記をお願いして小冊子に編集・印刷して配付し、自衛官生活の参考にしてもらった。
 一方、私が尊敬した福田正雄大先任空曹のような「上級空曹像」を頭において「先任空曹」、「上級空曹」についても小冊子を編集した。また、「上司の望む先任空曹五章」をまとめ教育資料としたこともある。 
 その根底にあるものは、幹部自衛官を志すもよし、空曹の最上者として自衛官人生を全うするもよし、そこに上下・優劣はない。今もその考えにいささかも変化はない。 
 ここでは、ある部隊勤務の時、作成した「幹部への道」の「まえがき」を抜粋して認めておくことにした。
 小冊子に記載した内容は省略し、「まえがき」のみを紹介する。当時何を考え、後継者に何を期待したのか、どのように取り組んでほしいと訴えたかったのか、この「まえがき」の中に織り込んだからである。
 
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 《 ある部隊での「幹部への道」に記した「まえがき」である。多数の玉稿には自衛官がどのように任務に取り組んでいるか、毎日をどのように過ごしているかその生きざまが綴られている。合格記というより自衛官の人生への挑戦記録ともいえる。》