神原町シニアクラブ( 190 )   地域への奉仕活動と入会案内を掲載した会報「いきいき神原会」

 今回の会報は、神原会の地域への奉仕活動を取り上げました。また、会員の入会案内を入れて、新しい会員の加入促進を呼びかけることにしました。昨夕は自治会の定例会(役員会)がひらかれたので、各部班を通じての回覧をお願いした。会員の皆さんにはは本朝2時間ばかりかけて町内を歩き手配りをした。

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 《「いきいき神原会」No110 令和元年7月5日 》 

昭和の航空自衛隊の思い出(462) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(17)

      昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。

 今回は、西部及び南西の防空管制群を紹介します。 
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶  西空の防空管制群は、峯岡山サイトのコントロ-ラ―時代に交差訓練で訪れたことはなかった。それが指揮幕僚課程を卒業して、西部航空方面隊司令部に人事幕僚として勤務した折は、人事部の作戦運用の主務担当として活動することになった。西空司令部の当直幕僚に就いた時は、運用幕僚と一緒にオペレーシヨンで勤務した。また、後年、西部航空警戒管制団司令部人事 部長として 春日基地に勤務した折は、同一基地内であったこと、隷下部隊であったことから西部防空管制群のシンボル・マ―クは日常的に見慣れてきたので懐かしい思いがする。
❷ 南西防空管制群は、西空司令部人事幕僚として、沖縄異動交流に関する准尉・空曹及び空士人事を担当した時、沖縄所在部隊の状況を研修した。その後、空幕人事課人事第2班長して沖縄交流を主題とした講習主催の折、沖縄所在全部隊を順次訪問した。

➌ 西部防空管制群のシンボル・マ―クの三つの矢、南西防空管制群の沖縄の鳥ヤンバルクイナは印象的であったことを覚えている。
昭和の時代  西部防空管制群 ( 春日)のシンボル・マ―ク

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令和の時代   西部防空管制群 ( 春日)  出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ

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昭和の時代  南西防空管制群 ( 那覇)のシンボル・マ―ク

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浜ちゃん日記 短時間の集中豪雨と抜本的対処

    遠州地方の当地も昨夜からの大雨は、畑に雨水が溢れんばかりとなった。今日は生ゴミの回収日、降雨の勢いが収まったところで、近くの集積所へ雨傘をさし、片手にゴミ袋を運んでいたら途中で猛烈な土砂降りとなった。地面に叩きつけるような雨は40センチほどはね飛びたちまち下のズボンと靴は濡れていった。

    数分後には、第4集積所付近の開水路はあふれんばかりになった。三方が原の大地で安定した町内であるが、自然の脅威的な集中豪雨には勝てない。

    降雨が収まってから長靴を履いて花畑の被害を確認に出かけたら、第3集積所・健康広場附近に至る道路は冠水していた。

     九領川につながる第3集積所・健康広場付近を中心とした道路の冠水は、神原町の一大懸案事項であり、集中豪雨が12時間〜24時間連続した場合は、相当な被害が予測される。その原因は合流する水量に対して処理水量が少ないために時間の経過とともに処理しきれない水がたまってくるということである。

    その原因は明白である。二本の開水路から流れる水量は第3集積所・健康広場横に合流するが、それ以降は1本となるから、当然開水路より幅が広くなければならない。しかし、現実はそうでなく水はけがよくない。

    幸いにして、今まで数時間の 豪雨であったことからか、一部の冠水で終わっている。もし、いままで経験したことのない長時間の局地的集中豪雨が発生した時は、その冠水は町内全域に及ぶことが予想される。

    早急に開水路合流以降の流水路の拡幅が課題である。20年前からの課題であり、声を大にして要望し被害発生の警告を発している。一昨年多少の手直し工事は実施されたが、解決策につながっていない。思い切って下流からの拡幅工事と同時に全部を改修する英断が待たれる。抜本的な対処が必要である。悠長な対策では、自然災害は待ってくれない。甚大な被害が出てからでは遅いのである。

    今回の九州の集中豪雨の状況を見ながら、他人事ではなく足元でいつでも自然災害が身近に起きることを認識して心すべきことを再確認した。

開水路から雨水が道路にあふれて冠水した状況  (令和元年7月4日07:45頃撮影)

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《 第3集積所・健康広場にいたる付近、開水路と市道との区別はガ-ドレ-ルのみ  》

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《 神久呂協働センタ- 東側付近、開水路と市道との区別はガ-ドレ-ルのみ 》

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《 花畑から北側付近、道路の冠水 》
 

84歳老いる雑感(70 ) 動ける時にやれることはやっておきたいと「一挙両得」の汗

   現在の毎日の生活は、やりたいこと、やらなければならないことがいっぱいあって、優先順位を決めて行動することにしている。側から見るとそんなに忙しくしてどうするのかということであろうが、周りのことはあまり気にしたこともない。高齢者の生活ほど画一的に語ることができないほど千差万別であるからだ。

    自分の84歳という年齢と体力気力からすると、こうした生活は、ここ2〜3年くらいまでであろうか、いつの日かやりたくてもできなくなり、静かな生活になっていくであろうと推し量っている。

    そこで生活行動の根底にあるものは、今後歳を重ねることに減退するであろう体力気力と意欲から「動ける時に、やれることはやっておきたい」ということから来ている。

     このため最近取り組んでいることは、

❶  終末を考えて身辺の整理をしていること

    健康面が不安で先がないとかということではなく、差し迫った危機感はまたったくないが、時間を見つけては週に何回か集中的に諸資料の整理破棄など対象物と重点を決めて処理をしている。書斎の整理もかなり進んだが、まだまだ雑物に埋もれている格好である。

    破棄するものと残すものとの仕分けを果断にやっているが、その基準に甘さが残っているせいか、まだまだ残す物の方が多いようだ。

    その上、残すものは分類整理をしたりしているから結構時間がかかってくる。その点では、自由の身であるからマイペースで処理をしている。

    最終的には、全てを無条件で容赦なく破棄すれば良いが、今のところそこまでは考えが至っていないから、中途半端ではある。

     その根底にあるのは、実際は明日とも知れない歳となったが、実感として今日・明日に自分が朽ちるとは全く考えていないところにあるようだ。人間の業というものであろうか。

    そのうちに、全部破棄したいと思っても、実際はやれなくなるかもしれない。これもまた人生というものであろうか。

❷   時折、体力を使う作業に精を出していること

    シニアクラブの責任者として、「健康広場の花ラインの整備」や「ありがとう花壇の整備」などは先頭に立って作業を進めてきた。実に体力を使う作業であるが、今のうちはできるが、数年後はきっとできなくなるであろうという予測から、やれるうちにやっておきたいという内なる思いから、きつい労働ではあるができる範囲で挑戦してきた。

    最近とみに体力が低下しつつあることを実感していることから、こうした体力を使う作業を通じて、意外にまだまだできそうだという思いが交差している。これも最後の燃焼というものであろうか。

     特に、高齢者として体力の限界に挑戦したり、意気込んでいるわけではないが、時間をかけながら段階的に積み上げる方法でやり遂げることができた。「年寄りの冷や水」と言われないように慎重に作業をし完了した。

    身体を労わりすぎないで、やってみたら身体全体が引き締まって元気になった面もある。身体とは不思議なものだ。

❸  「一挙両得」の汗を流すことに努めること

    自分のためのに行う毎日の行動の中に地域社会につながることに意識して努めることにしている。単に散歩で歩く、運動のために体を動かして汗を流すのではなく、同じ汗を流すのであれば地域社会のために役立つことをやることで汗を流すことに努めるという考え方、発想で過ごすことにしている。

    一つの行為、動作で自分の健康と地域社会に役立つことをする。言うなれば、「一挙両得」、「一事二役」の発想である。

   その具体的なことでは、ここ10年余にわたり、同じ歩くという行為、動作に、町内の会員宅に「花の会の会報」や「シニアクラブの会報」をポストに入れて配りながら歩くことを取り入れてきた。

    ただ自分の健康のために、散歩、歩くということではなく、地域社会につながる目的・行為と結びつけると結構な汗を流し、自分の健康維持になるだけではなく、地域社会、他人のため役立つことにつながっていくという事である。

    同じ汗でも、少しでも地域社会につながった一挙両得の汗となると清々しいものである。最近行なった「健康広場花ラインの整備」、「ありがとう花壇の整備」も同じ発想である。同じ汗ではあるが、自分の健康と地域社会の環境美化に多少でもつながっていくのではなかろうか。

    動ける時にやれることをやっておきたい、一挙両得の汗を流せたら、毎日が楽しく、清々しい心となるものである。

 

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《 神原町健康広場の花ライン・コスモスとヒマワリ 》

 

神原町花の会(花美原会)(387) 花畑の育成が進んでいます

 梅雨時は草木の成長期である。太陽と雨、気温と水に恵まれた季節であるからだ。

6月23日に蒔いたコスモス種は一週間もたたたないうちに順調に発芽した。発芽の自然環境が整ったものは3日目ぐらいには芽を出したものもある。コスモス畑の全域が順調に育っている。

 花壇の花も順調に進んでいる。9月初旬ごろからのコスモスの花摘みが期待される。

 

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《 令和元年7月2日撮影、神原町花の会の管理する花畑 》





 

神原町シニアクラブ( 189 ) ありがとう花壇の整備を終えて

    7月2日朝小雨の合間を縫って、「ありがとう花壇」に家庭で育てた松葉ボタンとマリ-ゴ-ルドを移殖した。デザインとしては、前面から見ると丸日を帯びた楕円形に沿って水仙の球根、その次に松葉ボタン、マリ-ゴ-ルド、コスモス、最後尾にヒマワリを配置した。2本の樹木の周りにはアサガオである。お金をかけないで、家庭にあるものを有効活用することにした。どんな具合になるのかは1か月後のお楽しみである。  

 それにしても、3日ばかり降り続いた雨のせいか、雑草がいっぺんに生えてきた。この場所は、毎週月曜日グラウンドゴルフと休憩・語らいの場でお世話になるので感謝の気持ちを込めて、少しでも環境美化に役立ちたいとの思いで「ありがとう花壇」としました。 

 この間まで、草ぼうぼうのこの場所が、急に整備されすっきりしたので、ごみ集積所の利用者の皆さんからは、きれいになったと声をかけていただいています。

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昭和の航空自衛隊の思い出(461) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(16)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。

 今回から北部・中部・西部・南西の防空管制群を紹介します。 
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶   各航空方面隊の作戦指揮の要となる防空管制群は、ADCCとして重要な役割を果たしていた。中部、北部のADCCは交差訓練で訪れた。研修のたびに航空方面航空隊司令官以下の鎮座するトップダイアスを見上げて、夢のまた夢であったが、若く燃えていたせいか、いつの日か指揮班の末席に加わりたいと思ったものである。

 ❷   昭和の40年代から防空システムも手動から自動へと変わり、防空管制群に要撃管制機能が集中してきた。今や昭和の「要撃管制官」は「兵器管制官」となり、その役割は一層重要となってきたのではなかろうか。
➌ シンボル・マ―クの制定者とあるはデザインの提案者と解する。初期の段階はいろいろあるものである。
昭和の時代  北部防空管制群 ( 三沢)のシンボル・マ―ク

制定 初 代 昭和31年~昭和64年

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平成の時代    出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ 

 制定 2代目 平成1年~平成17年    

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制定 3代目 平成18年9月~現在   出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ 
3本の矢は、群本部・防管隊・警通隊を意味し、背景は、ネットワークを意味し、青色は紺碧の空を意味する。
平成18年9月北部防空管制群創設50周年を記念して変更された 。

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令和の時代  北部防空管制群 ( 三沢)  出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ 

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昭和の時代  中部防空管制群 ( 入間)のシンボル・マ―ク

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令和の時代   

新しいシンボル・マ―クが制定されているようであるが、中部航空警戒管制団ホ-ムぺ-ジに掲載されていないため省略した。