昭和の航空自衛隊の思い出(460) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(15)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。

 今回は総隊防空指揮群を紹介します。 次回から北部・中部・西部・南西の防空管制群を紹介します。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶   総隊防空指揮群は、府中基地に所在し、航空総隊司令部において人事幕僚として日常的に訪れた。また、作戦運用に関しては人事部の主務担当として活動した。
❷ 防空指揮群のシンボル・マ―クは,AC&Wの総本山らしく富士山を据えてのデザインが印象的であった。


昭和の時代  総隊防空指揮群 ( 府中)のシンボル・マ―ク

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平成の時代    作戦システム運用隊(横田)

   平成26年(2014)3月26日 防空指揮群は、プログラム管理隊はとともに廃止統合され、作戦システム運用隊が新編された。(初代隊司令には防空指揮群司令が就任し、隊司令横田基地司令を兼任している。)

令和の時代  作戦システム運用隊      出典  作戦システム運用隊ホ-ムベ-ジ  

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作戦システム運用隊は、航空情報を収集し関係部隊等へ情報提供を実施する部隊です。また、横田基地における隊員生活等に関する業務を実施しています。
【所在基地:横田基地及び入間基地】

 

神原町シニアクラブ( 188) 令和元年度第12回シニアクラブ浜松市総代会に出席して

 シニアクラブ 浜松市総代会が、6月28日午後、浜松市福祉交流センタ-で開催され参加した。本総代会は代議員100名のうち約75名が出席し、総代会次第に基づき整斉と進められた。

 藤田かつ太郎会長のあいさつの後、議長に仲田宗雄氏を選出、議事録署名人の選任、議事は仲田議長の下に、上程の各議案は西村嘉夫事務局長が説明し、異議なく全員拍手をもって承認された。

【所感】

❶ 本年度のシニアクラブ浜松市の活動方針及び重点目標は明確である。これを受けていかに地区および単位クラブの会長がこの方針及び重点目標を地区特性を勘案して具体化するかにかかっている。

 分厚い浜松市が計画する「はままつ友愛の高齢者プラン」及び「第4次浜松市地域福祉計画」を読み直して、足らざるところがあればクラブの活動計画に反映することにしたい。

❷ 地区の連合会長兼ねてシニアクラブ活動推進相談員でもある。在任間において連合会長の職務及び連合連絡会を通じて積極的に各クラブの活動の改善向上・充実に資するよう運営したい。各クラブの情報交換と活動・運営状況の交差研修などはさらに推進したいものだ。先般他クラブの副会長が金曜会の運営状況を見学にやってきた。こうした積極的な姿勢は素晴らしいものである。

 会員が積極的に自ら参加したい、楽しさを感じる活動をどのように設営するかであるが、あれもこれもと欲張りすぎると過重となるので、現在進めている方向をさらに推進することとする。

➌ シニアクラブの会員減少はさまざまな加入促進にも関わらずその傾向は止まらず深刻な課題である。当クラブの場合、高齢化に伴う年々の死亡・退会数と新入会員数が拮抗していており横ばいないしは緩やかな減少傾向にある。毎月「いきいき神原会」を自治会を通じて町内全世帯に隣保班回覧をお願いして、活動状況と入会を呼び掛けている。これらの活動は継続しつつも新しいやり方で入会につながる方策を検討していきたい。

❹ 第4次浜松市地域福祉計画に関連し、地区社会福祉協議会に積極的に協力する姿勢が求められている。シニアクラブの活動の競争相手ではなく、クラブの特性や持ち味を生かして地域福祉に協力する方向で進めている。要は地域で支え合い安心して生き生きと暮らすことができる住みよいまちづくりにある。

    社協のカフェとシニアクラブのロコモサロンを取り入れた活動日時が重複しないよう調整したりして、できるだけ多くの方が参加できるようにした。

 

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❶ 総代会会場

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❷ 会長挨拶  藤田かつ太郎氏

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 議長 仲田宗男氏

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 各議案の説明 事務局長 西村嘉夫氏

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❺ 令和元年度事業計画

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以下省略

❻ 令和元年度理事名簿(本部役員)

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❼ 新理事の紹介

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❼ 第4次浜松市地域福祉計画の説明

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神原町シニアクラブ( 187) 健康広場花ラインとありがとう花壇

   6月9日から逐次整備をした健康広場花ラインに、そのつどコスモスとヒマワリ の種まきを行ってきた。梅雨時で降雨があり、気温も高く順調に発芽して生育している。「ありがとう花壇」のコスモスは3日ぐらいで発芽した。それに対し石ころが多い個所のヒマワリの発芽と発育が良くないようである。

 雑草の方はかなり丁寧に取り除いたが、コスモスの成長と同じように少しづつはびこりつつあるようだ。自然界のことには、一喜一憂しないでのんびりと見守るに限る。

1   健康広場花ライン

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2   ありがとう花壇

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昭和の航空自衛隊の思い出(459) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(14)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

【現在の感慨】
❶   沖永良部サイトは、空幕人事第2班長時代に自衛隊機で部隊訪問した。当時ハイビスカ、次いでユリを取り入れたデザインが強く印象に残った。西空の離島サイトとは異なった環境にある離島サイトの人事交流に全力を傾注したこと、人事仲間の一人が沖永良部在勤間、当地の花を毎年贈ってくれたことが思い出された。
❷ 与座岳サイトは、空幕人事第2班長時代に那覇から官用車で部隊訪問した。沖縄の象徴ともいえるシ-サ-を守護神としたデザインが強く印象に残った。

➌ 沖永良部及び与座岳サイトとも、昭和時代に制定されたシンボル・マ-クを令和時代の今日に至るもその骨幹を継続しているように受け止めた。部隊の長い歴史と確固たる伝統が感じられる。
昭和の時代  第55警戒群 ( 沖永良部)のシンボル・マ―ク

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昭和59年新制定

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令和の時代 第55警戒隊(沖永良部)   出典  第55警戒隊ホ-ムペ-ジ

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昭和の時代  第56警戒群 (与座岳)のシンボル・マ―ク 

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令和の時代 第56警戒群(与座岳)     出典  第56警戒群ホ-ムペ-ジ

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昭和の航空自衛隊の思い出(458) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(13)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。
【現在の感慨】
❶    宮古島サイトは、空幕人事課人事第2班長当時、毎年沖縄交流を中心とした異動交流計画作成のため全国の人事担当者を沖縄に集めて調整作業をする折、合間を見て沖縄本島の全部隊及び離島を逐次訪問した。宮古島自衛隊機で部隊訪問した。
❷ 久米島サイトも部隊訪問する予定であったが、連絡船が欠航したため急遽取り止めたことがあった。空幕人事課人事第2班長の在任間、南西航空混成団の全部隊の内、久米島のみ訪れる機会がなかった。今もって残念であった。

➌ 宮古島サシバという渡り鳥、久米島のハブのデザインは、地域の特性を象徴し強烈な印象があったことを覚えている。
昭和の時代  第53警戒群 ( 宮古島) のシンボル・マ―ク

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令和の時代  第53警戒隊 ( 宮古島)   出典 第53警戒隊ホ-ムペ-ジ

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昭和の時代  第54警戒群 ( 久米島)のシンボル・マ―ク 

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 令和の時代  第54警戒隊 ( 久米島)   出典 第54警戒隊ホ-ムペ-ジ

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昭和の航空自衛隊の思い出(457) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(12)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

【現在の感慨】
❶   当別サイトは、要撃管制官の在任間において交差訓練で訪れる機会はなかったが、峯岡山の第44警戒群本部運用班長当時、当別で行われた基地警備研究演習の研修員として訪れた。
❷   佐渡島サイトは、要撃管制官の交差訓練で訪れたほか中部航空警戒管制団司令の部隊視察に副官として随行したことがある。両サイトとも厳寒期の山頂における勤務環境は自然との闘いもあり厳しさが強く印象に残っている。

➌ 当別はサイトを起点にした国土、佐渡は国際保護鳥の朱鷺を中心に置き、印象に残るデザインである。昭和の時代からデザインを変更することなく継続しているところに長い年月にわたって先人たちと思いを同じくする部隊の伝統を強く感じるものがある。

 

昭和の時代  第45警戒群 ( 当別)のシンボル・マ―ク 

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令和の時代  第45警戒隊 ( 当別)Emblem  出典 第45警戒隊ホ-ㇺペ-ジ 

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昭和の時代  第46警戒群 ( 佐渡島) のシンボル・マ―ク

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 令和の時代  第46警戒隊 ( 佐渡島)     出典 第46警戒隊ホ-ムペ-ジ 

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神原町シニアクラブ(186) 戸外活動拠点の 環境美化活動「ありがとう花壇」の推進

   神原町シニアクラブの戸外における活動の拠点は、健康広場と駐車場の一角に設けた「休憩と語らいの場」である。主として毎週月曜日に行っている「月曜会」は、神原町自治会が管理する健康広場において実施している。

 シニアの健康維持管理の活動は、自治会を中心とした地域に支えられているからできることで、利用している健康広場と駐車場の「休憩と語らいの場」に対して、「ありがとう!  シニアの感謝と奉仕として、「ありがとう花壇」の再生を行い、きれいな花を咲かせ地域の環境美化に貢献しようとする活動を推進す計画である。

 シニアクラブの会員の高齢化に対応して、無理をしないで継続を重視した奉仕活動を行うため健康広場の花ラインを逐次縮小し、一か所に集約して、長続きのする花活動を進めることにした。

 その第一歩として、月曜会の休憩場所と花壇の整備を行った。従前から花壇は存在したがいつの間にやら樹木に押しやられ、雑木が茂り花が負けてしまう状況にあった。今回思い切って樹木を剪定し、一般的な花壇に再生を図ろうとするものである。

 木の根っこが深く張り大変な作業であったが、掘り返し、根っこをできるだけ排除する作業を行った。次回からは逐次花苗を植栽し新たなる花壇の再生を試みることにした。

「ありがとう花壇」はどのようにこれから進展するであろうか。

1    ありがとう花壇

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2   休憩と語らいの場

❶ 従前

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❷ 新設定

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3    周りの樹木と花壇整備

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