山門の人生の教示  天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり

    毎月1日と15日、早朝、天龍山洞雲寺に墓参りをしている。山門の1月の掲示は、「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝り」であった。寺院であるから仏様を中心においているが、神社の立場からは神様を中心にして物事を考える。日本人の生活の中や心の中には、本人が意識しているかどうかにかかわらず、神様も仏様も一緒に宿っているといえよう。

 お正月には、神社・仏閣の双方にお参りした。そこには何の隔たりもない。古代から大和民族大自然と共存し、神仏を敬い、和を基調としてきた。自然界のありとあらゆるものを神仏と結び付け生活してきた。この敬虔な精神と感謝が、人の心を豊かにし、親を敬い、兄弟姉妹が仲良くし、夫婦相和し、子供をいつくしむ、他人を尊重することに繋がっていくのではなかろうか。

 こうした考え方で、「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり」を解し受け止めてみた。常に何事にも批判型で不平不満の毎日をすごしたらつまらない人生になってしまう。それよりか仏様や神様の広大無辺の慈悲力に私たちは包まれて生活しているのだと思って過ごすと心が豊かになる。人生とは自分で作り上げるものだからである。 

  

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《 天龍山洞雲寺山門の1月の掲示は「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり」であった。》

浜ちゃん日記  高齢期における生活リズムの継続と辛抱

 高齢期の毎日の生活で着意していることは、いったん始めたことは中断することなく、継続することに努めている。これは生活リズムの安定化に繋がっていくものだからである。

 自衛隊退官後28年余を迎えるが、退官と同時に入会した隊友会、つばさ会は今日も在籍し活動を続けている。自宅を建設し居住してからは、地域のシニアクラブ、花の会、カラオケクラブなどに入会して活動を継続している。

 この間、中途で退会することなど考えたこともなった。各種の会から実質的に離れるときは、人生を閉じるときとか自分の思いをかなえることが出来なくなくなったり、参加できなくなった時であると思っている。

 そこには、特別に高邁な理念があるわけではない。平凡な普通の人間として、どんなことでも最後まで全うしたいとする素朴かつ単純な思いというか、信念のようなものを抱いているからである。これは私の人生観の一つともいえるかもしれない。

 一つのことを続けると、意外にいろいろなことが見えてくるものだ。カラオケクラブにしても毎週火曜日の夜、練習に出かける。趣味の世界も22年間活動していると、唄うということの精神的・肉体的なありがたさや喜びが自然に芽生えてくる。作詞作曲や歌手の素晴らしさを感じてくる。

 60代の時にはさほど感じなかったが、いろいろな活動を続けることが、歳を重ねるにつれて一定の生活リズムの保持に繋がり、心身の健康に結びついていることを実感するようになった。長い年月にはいろいろ困難なことが生まれてくるが、それらを乗り越えて、継続と辛抱がよい循環に転化していくのであろうか。

 

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《 北陸地方を襲った記録的な豪雪で、陸上自衛隊が出動し、夜通しの懸命な除雪作業で徐々に解消しつつあることが報道された。》

浜ちゃん日記  テレビ特番と日本相撲協会の諸問題に対する組織運営の改善・改革

   今日の朝日テレビ番組(19:00~20:54)「貴乃花105日沈黙を破りすべて語る」を視聴した。

   いままで、昨年の大相撲の日本相撲協会の暴力事件などの対処、後続の不祥事への対応、貴乃花親方の沈黙と理事選出馬など話題は尽きず、昼間の各テレビは長期にわたって連日茶の間の話題となってきた。これまでの新聞・テレビ・雑誌の報道において、真実がどこにあり、的を得たものかどうかはともかく、国民の関心はかなり高かったものと思われる。

    私が興味と関心を持っているのは、諸事案の真相・真実であり、これらに関連する諸問題に対する日本相撲協会の対処と抜本的な組織運営の改善・改革の動向にある。

 日本の国技とされる大相撲と日本相撲協会は一体のものであり、  日本の風土の中で、物事を改善・改革するときの典型的な対象とみなされ、その指標となるものと見ているからである。

  同番組では、落ち着いた雰囲気の中で貴乃花親方が率直に語ったのがよかった。貴乃花親方が貴ノ岩関の傷害事件とケガについての真相に言及。さらに、日本相撲協会に提出したという数十通の文書、先日の理事選について「敗れて悔いなし」という胸中を告白したほか、相撲道と横綱の在り方についてその信念を語ったのが強く印象に残った。

 これを契機に、国技とされる大相撲の伝統継承と発展、時代を先取りする日本相撲協会の組織運営の改善・改革への起爆力・転換点となることを願うものである。

【所感】

❶ 相撲への信念と決意、今後の取り組み

 かって、若貴フイバ-の一時代を築き22回の優勝をなした一代年寄貴乃花親方だけに、

相撲に対する信念は確固たるものを感じた。新弟子の育成では、骨格の強い力士を育てたい、土俵での美しい相撲・礼に始まり礼に終わる相撲を継承したい。相撲の神事と文化を守りたいとの固い信念を披歴した。

 横綱とは、「包容力」であり、包み込むように勝負をし、包み込むように周りを幸せにすることであると述べた。  

❷ 日本相撲協会の諸問題に対する組織運営の改善・改革

 公益財団法人日本相撲協会の定款において、次のように定めている。

(目 的)第3条 この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。

 諸問題の解決のためには、門外漢から見ても横綱審議委員会、評議委員会及び理事会の選任、運営など組織運営の改善・改革が求められているのではなかろうかと思う。

    例えば、理事の選挙一つにしても、理事候補者に○をつけるとされたやり方が、今回は、記名となったなど、誰が見ても公正なやり方とは思えない。選挙投票方法について規程を定めて行っているのかどうか、国民の目から見て定かではないようだ。どこの公益法人でも細部の運営規程を定め、規定集を公開しているのか通例ではなかろうか。

 何事も改善・改革にあたっては、各会のトップの指揮統率力と固い決意で改革に取り組む決断力・指導力と実行力にかかっているのはなかろうか。

❸ 積極的な情報公開と広報が国民の信頼を得る

 どんなに栄えた組織でも、閉鎖的な組織は衰退していくものである。公益法人としての組織運営に関する情報は積極的に知らせて、国民の理解を得ることが必要ではなかろうか。協会のトップも貴乃花親方も求められたら大いに各メディアに出て積極的に所信や方策を述べたらよいのではなかろうか。政治的な策動や秘密の談合などは信頼を集めることに繋がらないものである。 組織運営の透明性は大きな課題ではなかろうか。

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《 横綱とは、「包容力」であり、包み込むように勝負をし、包み込むように周りを幸せにすることであると述べた。》

浜ちゃん日記 季節の知らせと高齢期ののんびり一日

    立春寒波と言うのであろうか、日本海側、特に北陸・東北を中心に記録的な大雪が続いている。その一方で、私の地域は、朝方、開水路に氷が張ったが、快晴が続いている。季節の進み具合は、玄関に至る両側の紅梅や白梅のつぼみ、開花で知ることができる。

   今朝は冷気の中、6時半から約1時間、徒歩でシニアクラブの会報を会員宅に配って回った。防寒服装で歩いたが、家に帰り着く頃には身体が燃えてきた。

    今日はのんびり休養して、時折、カラオケの新曲を練習することにした。夜は定例のカラオケクラブの練習会に出かける。

    多少身体に厳しかったかなあと感じたときには、のんびりと過ごすことにしている。こののんびりが、歳をとるにつれてどんなにか大切であることが実感される。 

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《 神原町花の会(神原会)の管理する花畑に朝日が差し始めた。》

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《 町内の開水路は全面に氷が張っていた。手が凍えるような環境で、自治会役員が資源ゴミの仕分けに立ち会っていた。》

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《 わが家の紅梅はかなり咲き始めたのに、少し離れた白梅はつぼみがしっかりと膨らみ始めた。開花はいつであろうか。》

浜ちゃん日記 平成29年度ふれあい大学の閉講

    神久呂協働センター主催の平成29年度ふれあい大学が本日閉講した。シニアクラブに入会して以来、毎年この講座に参加してきた。

     毎月一回の講座であるが、本年度は一回、あいにくシニアクラブの行事と重なって欠席した。皆勤賞は1組の夫婦であったが、多くの皆さんが積極的に出席したことは良かった。

  どんな講座でもそうであるが、最初から決めつけないで、参加して見る、聞いて見る、挑戦・やって見る、これが必要であるように思った。ふれあい大学もかりである。

次年度も多くの方が受講することになるであろう。

 最終講座では、小粥所長の東日本大震災において、浜松市からの派遣職員の一人として、津波によって 破壊された岩手県陸前高田市や大船渡市での活動経験を話された。

 3.11と称される東日本大震災は、平成23年(2011年)3月11日に発生した 東北地方太平洋沖地震による災害及びこれに伴う福島第一原子力発電所事故による 災害である。
 津波はもとより、大地震への平素からの対処など、長期にわたって、自然の猛威や悲しい、厳しい被災現地の修羅場、共助を経験された話は、受講者全員が熱心に耳を傾け、胸を打ち、心に響くもがあった。

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《 小粥所長の3.11東日本大震災における浜松市派遣職員としての活動経験の話に聞き入った。》 

    

浜ちゃん日記  節分と恵方巻、豆まき

1.節分

 今日は節分、本朝は雲も少なく快晴、気温も和らいでいた。わが家の紅梅も花数が日を追って増えて華やかになっていくのがよくわかる。

 2月3日は「節分」、ネットで調べてみると、  ウキベキァには、「節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多い。この場合、節切月日の大晦日にあたる。」とある。

 そのほかにも「 節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものでした。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようです。」とあった。納得いく説明のように思った。

 今どきの感覚としては、由来はともかく、春の節分が「節分」となっているように受け止められているのではなかろうか。  

2.恵方巻

  節分の恵方巻は、時折、専門店で作ったものを買ってくることもあったが、今回は自家製と相成った。巻き寿司は家内が若いころから作ってきたので、自家製の良さを味わったが、はたで見ていて、作る側は大変な手間暇がかかった仕事である。子供・孫たちにも配ったがどう感じたであろうか。今朝、ス-パ-に材料買いに出かけたが、店頭には恵方巻がいっぱい並んでいた。

 ウキベキァによると、「恵方巻きとは、節分に恵方を向いて食べると縁起が良いとされている太巻寿司のこと。およびそれを食べる風習のこと。もともとは大阪を中心とした地域で「節分の丸かぶり寿司」「節分の巻き寿司」などと称されていた。」とある。

 恵方巻の食べ方としては、吉の恵方を向いて恵方巻きに口を付けたら、そこからは口からは離さないようにして食べ進めるとあるが、自分の記憶では、食べる方向はそれほど気に留めていなかったように覚えている。今回は何よりも感謝しながら楽しく食べることにした。

 子供のころ、母親が鳥取地方、独特の巻き寿司をつくてくれていたことを思い出した。家族への愛情と絆からくるものであろう。専門店で作ったものを買って食するのも良いが、70年の歳月がたっても母親が作ってくれた巻き寿司は言うに言われないものがあったように思える。

3.豆まき 

 豆まきは家庭で子供のころからやっていた。自分が家庭を持ってからも続けてきた。この頃は、歳の数だけ豆を食うと82個も食べなければならないから5~6粒にした。健康を祈願するものが、かえっか胃の消化不良で大変なことになってしまうからだ。

 ネットで確認すると、節分の豆まきの由来は、中国の習俗が伝わったものとされているようだ。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味がある。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということであろうか。

 今夕のテレビでも神社仏閣での貴乃花親方や横綱白鴎など相撲取りの豆まきが報じられていた。

 自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われている。これも家族全員の健康を祈願する気持ちの表れであり、春を迎える一つの季節のけじめではなかろうか。四季折々生活の中にこのような行事・食風習があることは心を豊かにしてくれるのではなかろうか。 

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 《 今朝のわが家の紅梅、日を追って紅梅の花数が増えて華やかになっていく。 》

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 《 自家製の恵方巻、作っている途中で、デシカメで一枚そっと撮ってみた。 》