昭和の航空自衛隊の思い出(416) 「航空幕僚監部人事課勤務」を綴るについて

1.航空幕僚監部人事課の勤務

 「昭和の航空自衛隊の思い出」は、416回となった。その中で「航空幕僚監部人事課勤務」は、2016-08-14 昭和の航空自衛隊の思い 出(332) 「航空幕僚監部人事課勤務の人事発令」から始まり約80回を数えるようになった。全体からすると、かなり熱を入れて書き綴ってきたといえよう。 

    それは、35年余の自衛官生活の最終段階にあつたこと、50歳にして、最初にして最後の中央勤務であったこと、自衛官生活の総仕上げの時期にあったこと、空幕人事第2班長の職責を全身全霊をもって遂行に努めたとの思いからであった。

 こうしたことから、「航空幕僚監部人事課勤務」は、全く悔いのない生活であった。やるべきことをやったとの思いが強かった。

    したがって、次項の考えで、このブログで書きたかったことは大体書き認めることができたように思います。

 

2. 「昭和の航空自衛隊の思い出」----その時何を考え立ち向かったか 

    昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば操縦学生から転進した部内幹部出身であったということぐらいであろう。
    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は、昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
 

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 { 29.2.10 夕方 家の近くの枯れすすきとお月様}}  

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 { 29.2.10 夕方 自宅の紅梅とお月様}}