昭和の航空自衛隊の思い出(350) 空幕人事課人事第2班長着任と人事第2班の陣容等

1.空幕人事課人事第2班長着任時の空幕長等

 昭和61年(1986)12月5日、空幕人事課人事第2班長として着任した。時の航空幕僚長は空将大村平、航空幕僚副長空将谷篤志、人事教育部長将補宮下裕(防大3期)、人事教育副部長将補田所健(防大3期)、人事課は課長1佐小泉進(防大6期)、制度班長1佐山田好義(防大8期)、人事第1班長吉川武秀1佐(防大8期)、人事第2班長2佐(62.7、1佐昇任)濵田喜己(部内23期)、人事第3班長事務官佐藤孝及び募集班長1佐中原頼雄(部外34期)であった。

 私の人事第2班長在任間、航空幕僚長空将米川忠吉(部外5期)、航空幕僚副長空将鈴木昭雄(防大1期)、、人事教育部長将補那須秋男(防大4期)、人事教育副部長将補菅沼憲彦(防大5期)、人事課は課長1佐武田清(防大8期)、制度班長1佐吉岡元(防大10期)、人事第1班長1佐鈴木一嘉(防大9期)、人事第3班は職員人事管理室となり、室長事務官水野秀司及び募集班長2佐(62.7、1佐昇任)柳谷均(防大9期)と人事異動があった。

 

2.空幕人事課人事第2班長着任時の人事第2班の陣容

 人事第2班長着任時の人事第2班員は、2佐竹村肇(防大12期・CS27)、1尉(62.13佐昇任)-石田敏晴(防大19期・CS33)、曹長(63.1准尉昇任)染谷忍、2曹福田文紀、事務官廣田正博、事務官大堀健、事務官安斎敬子であった。

 班の先任幹部として1年余にわたって一緒に仕事をしてきたので、お互いの気心・性格・能力も分かっおり、職務を遂行する上での環境は十分に整っていた。

 その後、62年4月2佐竹村肇が統合幕僚会議事務局へ、後任に2佐桒原主税(部外46期・CS27)と事務官廣田正博の後任に事務官山下道朗、同年12月2曹(63.1、1曹昇任)髙橋栄二が:配置となり、63年1月2曹福田文紀が転任した。

桒原2佐は竹村2佐同様に、班の総括幕僚として、大人の風格在り優れた能力を発揮し、誠心誠意班長を補佐してくれた。山下事務官は温厚にして綿密な作業に優れ抜群の人事処理能力を有していた。髙橋1曹は新進気鋭の空曹でやる気満々であった。

3.班員に対する方針等の明示

 60年(1985)8月空幕勤務となってから人事第2班員として1年4月にわたって所掌業務全般について把握・勉強する機会を与えてもらっていた。当時の日記には、「班員に対する方針等の明示」と題して次のように記していた。特別に気負ったつもりもなく今までの延長の中で、各人が座席について班長としての考えを披瀝し一緒に仕事をしたいと話をしたと記憶している。

❶ 新着任の気持

〇 1年4月間しっかりと全般の仕事をみてきた。

〇 フレッシュな気持ちで仕事をしたい。

❷ 班長としての使命

〇 准空尉・空曹及び空士に関し接点に立つ。

〇 隊員の心の痛み、声なき声、心を心とし全力投球する。

〇 班業務についての決断・決心(左か右か)を適時適切に行う。

〇 班業務に対して全責任を負う。

  責任が取れる体制・・・・担当者報告

❸ 立場

〇 出身期別にとらわれない。何事も正々堂々と

〇 3万7千名の准曹士の諸官がバックにいるという自覚

〇 気負うことなく自然に

❹ 仕事の仕方

〇 組織として力を発揮する。

〇 やった仕事(成果)は3~4倍にして、おつりを付けて返す。

  (無駄な労力は使わせない。)

〇 各人の意見を聞く、議論を大いにする。 方向づけをする。

〇 早めに報告  都合の悪いこと、言いたくないこと、失敗

❺ 業務

〇 骨幹となる主要事項 充員、異動・昇任の人事管理

〇 准空尉・空曹及び空士に関わるもの  積極的意見を施策に反映

〇 部隊等の状況把握と迅速な対処 出来る限り部隊へ顔を出す

〇 常に改善向上  一歩前進主義