昭和の航空自衛隊の思い出(97) 護衛艦に乗艦して 海空訓練支援

  昭和30年代後半において、峯岡山分屯基地の第44警戒群おいて要撃管制官として、海上自衛隊との「海空訓練」で護衛艦に乗艦し、指揮所で要撃管制の立場から支援したことがあった。

 海上自衛隊館山から護衛艦しきなみに乗艦し、東京湾を出て遥か洋上で訓練をした。海上自衛隊の停泊中の艦艇には研修で何回か乗船したことがあるが、行動中の護衛艦で所定の業務を遂行するとともに研修するのは初めてであった。

 お客様ではなく、海空訓練の支援をしたので職務上大変勉強になった。当時の写真を見ると同じクル-の ベテラン空曹3名と一緒に写真に納まっているので一緒に出かけたと思われる。

❶    日帰りの行動であったが、護衛艦の出港から帰港までの状況をつぶさに視認し、海上自衛隊艦艇の行動の一端を理解することができた。特に、私にとっては、艦長、艦橋と指揮所における指揮命令・伝達の仕方、対空警戒監視、周辺海域の安全確認などがどのように行われるのか非常に関心があった。士官と海曹との関係、艦内の居住環境等についても理解するすることができた。

❷ 航空自衛隊海上自衛隊の文化の違いもよく分かった。海上自衛隊は旧海軍の良き伝統を固く守っている面が多く見られた。護衛艦は動く一つの城であり、基地であることがよく分かった。航空自衛隊は全く新しい組織であり、自らが作り上げる途上にあった。同じ自衛官と言っても固有の任務・職務遂行の場・勤務環境・勤務形態などの相違等の上に、生まれと育ちが違うのは当然でこの点非常に興味があったことを覚えている。

❸ 今では航空自衛隊でも当たり前であろうが、士官室での食事でおひつと陶器が使われていることにびっくりした。航空自衛隊は、当時アルミから ブラシチックに変わったころであった。食事の中身はどこでも同じであるが、日本人らしく質素であっても器がよいとおいしく感じた。

 

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《 昭和39年当時の護衛艦しきなみの雄姿、「しきなみ」は、昭和30度計画1,700トン型警備艦として建造され、1956年12月24日起工、1957年9月25日進水、1958年3月15日に就役した後に横須賀地方隊の直轄艦、第8護衛隊、装備の近代化が行われた。その後練習艦隊に編入、1987年7月1日除籍、昭和63年江田島で解体とある。これで見ると護衛艦しきなみの活躍の年数は約30年であり、私の現役年数約35年余からすると少し上回ったようだ。我が国の防衛の任を果たし、満足して退役したであろう。人も艦も同じである。》

 

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《 昭和39年護衛艦しきなみに乗艦、今から見るとなぜ半袖なのかよくわからない。当時の業務は大部分が指揮所で、時折艦橋で研修したように記憶している。 》

 

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《 昭和39年護衛艦しきなみに乗艦、同じ小隊クル-の ベテラン空曹3名と一緒に、全長109m、全幅10.7m、乗員220名、最大速32ノットと言われていた。 》