がんとの闘い(16) 死生観

11月2日

高台にある病室から眺める夜景はすばらしい。手術の経過も良好である。嬉しいものだ。

昨日午後には、点滴の針もとれて身体に着いているものは、氏名・生年月日・血液型・バーコード等の腕輪のみとなった。

患者の勲章のような器具が外れてサッパリした気分である。

朝7時の検診・体温、血圧等も良好である。

日一日と回復を待つ段階になると、じっくりと考えることも出来る余裕が出てきた。

 

死生観

自衛官現役時代に職務遂行にあたって持ち続けた死生観と今日78歳となり、高齢者の一人として、がんと向きあう死生観とは大きな違いがある。当然のことである。

この死生観・人生観を持つことによって、充実感・満足感・生き甲斐のある人生を送ることが出来たように思う。

 

現役時代の死生観

自衛隊現役当時退官するまで胸の中に秘めて、職務にあたってきた死生観は、入隊時の「宣誓書」に署名したときから始まった。

「わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、・・・、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、[事に臨んでは、危険を顧みず]、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」との宣誓内容は、警察官・海上保安官消防官にはなく、「自衛官」だけの厳粛な宣誓である。

命令を受けたら自らの生命の危険に動じることなく、どんなに困難な状況下でもやり遂げますということである。生命をも投げ出す覚悟なくしては務まらない職務であるからである。

これらは自衛隊勤務の中で、職務を通じて自分なりに固い使命感、信念を確立していくものである。

幸いにして、在任間そのような事態には直面しなかった。

 

現在の死生観

これとは対照的に人生・年齢を重ねながらの死生観、生死を伴う病気に直面しての死生観、老境に達しての死生観、死を迎えての死生観などは人それぞれで異なるであろう。

私は、自衛隊退官後の人生は、現役時代のように国家国民に奉仕できなくとも、同じ気持ちで勤務できる仕事に就きたいと思い、自動車保険料率算定会(損害料率算出機構)調査事務所を選んだ。

損害調査事務所及び自動車保険相談所を経て、職業人としての役目を果たし、自由な身となった。

現役時代から退官後は、出来うる限り自分の住む地域社会、郷土鳥取県自衛隊を支え市民との橋渡しなど少しでも役に立ちたいと思ってきた。

自衛隊でお世話になり、長年培ってきた総てを何らかの形で役立てたいと思っていたところ、請われて地域の自治会長をやらせていただいた。静岡県隊友会、浜松鳥取県県人会,浜松防衛団体連合会、航空自衛隊第一期操縦学生会しかり、現在のシニアクラブ、花の会等の代表も同じ考え方で進めている。

会長、代表としての職務・役割を果たすことは当然であるが、要するに皆さんの世話役であり、連絡調整係であると割り切ってこまめに役目をこなしている。

現在もがんと付き合いながら、やれることはしっかりやりたいと思っており、いささかの迷いもない。

いつどんなときでも誠心誠意、やっているつもりなので悔いはない。

人には自らの力で出来る期間・年限ががあるものだ。

病気・高齢・体力・気力・意欲の衰えにより皆さんに迷惑をかけないよう自らの出処進退を誤らないことが肝要と常にこころしている。

がんと闘う今の心境は、われながら極めて冷静・冷徹である。

静かな病室で、今後の行く末を考える時間を与えてもらった。

病理検査結果を診ながら、主治医の指導に従い、がんと上手に付き合うことになるであろう。

人間の命は限りある。神のみが知る運命に委ねるのみである。

自分の信念・人生観に従って生きたいと強く思う。