わが神久呂  昭和の新茶の手摘みから令和の大型の茶摘採機へ

 新茶の季節、一番茶から二番茶と大型の茶摘み機で茶摘みが行われている。地域の茶畑はすべて大型機械に代わっていった。

 平成の初期までは、手摘みと鋏による茶摘みであったが、次第に小型のバリカン型摘採機から今日では大型の乗用型摘採機になっているよだ。しかも用途によって各種の用具,機器が見られる。

 新茶は、丁寧な収穫に目を見張るものがあ。それは袋を二つ付けて、風を袋の中に送り込みながら、茶葉を浮遊させながら袋の中に送り込む方式がとられている。茶葉を傷つけないように丁寧に収穫している状況には、日本の農業機械の進歩と新茶を高級商品として大切に取り扱う心配りに感心する。

 昭和の時代、4月5月の茶摘みの時期は、家族はもとより親戚を総動員して,人海作戦で対処したもので、今となっては懐かしい体験であり、春の風物詩であった。新茶を一葉一葉丁寧に収穫した心配りが、機械化の中にも生かされているのに感動する。又、ずいぶんと機械化によって効率化が図られたことにより、一人で茶摘み作業が処理できる近代化に驚くばかりである。

 手ぬぐいの姉さんかぶりで野良衣の姿は、観光用のみでしから見ることができなくなった。時代とともに田園風景も変わっていく。

❶ 大型の乗用型摘採機

① 令和4年4月22日撮影

② 令和4年5月7日撮影

❷ 茶畑

① 令和4年4月22日撮影

② 令和4年5月7日撮影