神原町シニアクラブ(神原会)(会長濵田喜己)は、情報連絡紙「いきいき神原会」を発行し、本朝会員に配付しました。
本号は、10月の定例会・リアル野球盤大会の開催と10月の主要活動と活動日の周知徹底を図ることを主眼としています。
現代は情報化社会で、会報などの作り方などの手法をテーマとしたソフト・参考資料は、インターネットで容易に入手することができすが、今のところこれらを利用しないで独自の編集作業をしています。毎月1回の発行で、その部数は約100部、会員配付50部及び町内回覧50部で創刊以来カラ-写真を取り入れてきました。
発刊をしてから号を重ねて135号、10年を超える歳月となりました。今では当たり前となってきましたが、あまり意識することなく過ぎてきたように思います。
こうして、単一の小さなクラブであったことが幸いしたのではないかと思います。「石の上にも3年」ということがありますが、その3倍以上となりました。「継続は力なり」で、何事も継続することが大きな力となってまいります。 シニアクラブの活動の大きな基盤となっているからです。高齢者集団にとって、耳で聞くより目で何回でも確認できる「いきいき神原会」の存在は活動の牽引力となっているからです。
こうして、編集発行が続けられたのは、コツコツと誠実にやり遂げた結果であります。情報連絡紙的なものの編集発行は自衛隊現職時代からの夢でありました。小松基地に勤務したおり、二男が通った小学校の担任・関本孝三先生の「学級だより」でした。実に教育熱心でコツコツと真面目に子供たちを育てる情熱と献身的な努力に感動したものでした。
父兄にとっても、子供たちの生き生きとした様子が分かる、実に素晴らしいガリ版ずりの学級通信でした。先日整理をしていたら、その学級通信が出てきました。当時、いつの日か部隊の指揮官になったときには、部隊の瓦版を作ろうと思っていました。
在隊間は実現できませんでしたが、退官後隊友会浜松支部長に就任したとき、長年の夢を実現することができました。それは支部機関紙「隊友はままつ」の創刊でした。
地域の自治会長に就任した時も、自治会の情報連絡紙「自治会だより」の創刊でした。自分が抱いた夢を自分なりの形で実現できたことに感謝しています。 花の会代表者になったときは「花だより」、シニアクラブの会長に就任したときは「いきいき神原会」の創刊でした。
こうして、長年の夢を実現できたことは、その当時の時代背景と何としてもやり遂げたいという執念であったように思います。組織の代表、責任者になったときには、やりたいと思っていたことをやり遂げるという固い決心、初心を貫徹し、一旦実行したことは最後まで継続することにつきます。
人に言われたから、勧められたからではなく、内なる心に宿った思いから発したものであったことが継続を可能にした原動力であったように思います。
子供時代の小学校の尾崎先生、上本先生、青目先生、岸田先生、中学校の鈴木先生、絹川先生の教えと感化が大きな力を宿してくださいました。