こころのふるさと(33)  宇野地区の街並みと特色(3)

 ふるさと鳥取県湯梨浜町宇野に着いて、法要が始まる前までと終わってから浅津の菩提寺香宝寺へバスで移動するまでのしばしの時間を利用して、街中を眺めた。

1   宇野地区集落内の生活道路 

 宇野地区の集落内を走る道路は、全国どこにでも見られる道路と変わりがない。集落の海岸寄りの新設国道9号における車の往来は激しく、歩行者の道路横切り等は危険であるほどになった。集落内を走る幹線道路は旧国道とり、地区内の住民の車の出入りと歩行が主体となり、割合と静かな生活道路になった。

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《 宇野海岸線に沿って走る国道9号線と宇野海岸 》

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《 平成24年6月9日撮影、宇野海岸線を走る国道9号 》  

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《 集落内を走る旧国道、今は地区内の住民の車の出入りと歩行が主体で静かな生活道路となっている。一般の車は海岸に沿った国道9号を走っている。》

 

2 狭い通路の環境特性

 宇野地区における集落の道路網は、子供の頃の目線では道路の幅がかなりあったように思ったが、今の大人の目線で見るとよくもこんなに通路が狭かったのかと感じる。

   手押し消防ポンプは活動できるが、現代の消防車は末端に入らないであろう。いったん火災が起きたら隣家への延焼は免れず、集落全体が燃失する危険性があった。それだけ平素から火災予防・消防に対する意識が高かった。当然、今日は消防活動と言えば、強力な消防車と延長ホースで対処することになるであろう。

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 《 集落内の狭い通路 》

 3 集落内の子供による火の用心

    そのような地域の環境特性からくるものであろうか。昔からの慣習であったであろうか。 私の小学生時代は、上級生になると夕食後毎晩、順番で子供達が組となって、カチカチと木打ちを鳴らして、声を合わせて「火の用心」「火の用心」と連呼しながら集落内を廻るのが子供の役割であった。

    今から考えると、子供だけでよく集落内を回ったものだと驚くばかりである。このことからも、こどもから「火の用心」と言われたら集落の防火・防災意識はかなり高かったように記憶している。

4 赤瓦から黒瓦への変化

    小学校跡の公民館から眺めた集落は、尾崎邸とお寺の屋根が突出して目に入ったたのが印象的であった。子供時代はどの家も赤い屋根瓦が展開していたのに、最近の住宅建築からすると赤と黒は6:4ぐらいになってきたようだ。

この地区の特色と言われた屋根の赤瓦も時代とともに変わりつつあるように感じた。

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《 小学校跡の公民館から眺めた集落は、尾崎邸とお寺の屋根が突出して目に入ったのが印象的であった。最近の住宅建築からすると赤と黒は6:4ぐらいになってきたようだ。》 

5 すぐれた格好のいい松

 小学生時代から慣れ親しんだ格好の良い二本の松は、代々にわたって住民から大切にされ、宇野集落の象徴であったように記憶している。昔から宇野小学校の玄関入り口手前の両側に一対のりっぱな松が鎮座していた印象があまりにも強く残っている。この子孫であろうか。

    庭木についてはまったくの門外漢であるが、当時ゴヨウマツと言われていたように記憶しているがどうであろうか。今もその雄姿は惚れ惚れするくらいである。

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《 宇野公民館横の小学生の頃から親しんできた 格好の良い二本の夫婦松 》