昭和の航空自衛隊の思い出(224) 服務指導と特異な社会事象

1.服務指導に関する策案

 人事幹部の担当業務に「服務」に関する事項がある。服務は自衛隊諸法令に定められている如く幅が広い。

 昭和36年幹部自衛官に任官以来要撃管制幹部として、更には43年人事幹部へ転進してからは、隊員指導について自己の特命課題として、資料収集、調査研究し部隊勤務を重ねるごとに、繰り返しながら服務指導計画の作成・実行・改善充実を目指してきた。

 航空自衛隊の隊員指導の手引き・参考書はもとより陸上自衛隊海上自衛隊ではどのように取り組んでいるのかいいろいろと資料収集して、当該部隊に適用できる服務指導計画の作成に励んだ。群レベルから団における服務指導計画は基地周辺の状況及び部隊の特性に応じた内容に作り上げていった。

 とりわけ、私の大きな関心は、自衛官と同じ世代の警察庁、警視庁、府県警察の青年警察官の事故とこれに対する服務指導のあり方と対策処置にあった。

 昭和の40~50年代の青年隊員と青年警察官の服務事故状況、どんな問題に悩み、指導面に重点を置いているのか、青年層の特質と社会背景からどのような事故が発生しているのかなど、組織の違いこそあれ概ね共通する面もあることを認識たものである。

 総隊司令部において、服務担当として2年間、主として部隊の状況の把握と分析検討及び対策処置であった。その間、服務指導に関する策案の調査研究をする機会があった。

 とりわけ隊員の服務指導はどのように対処したらよいか、初級幹部時代から真剣に取り組んできたことの集大成であった。この策案は、その後、航空警戒管制団人事部長を拝命した折、団司令の承認をいただいて実行することができた。

 この根底には、昭和48年2月、岐阜基地で起きた燃料漏れ事故を始め、最近起きた飛行事故の原因に、過去の技術偏重主義から幹部の指揮統率力、隊員の士気にやや欠ける面があるのではないかとして、安全対策にとどまらず、指揮統率の基本を究明するという従来とは異なった角度で、昭和48年5月7日から1か月間、航空総隊司令官鏑木健夫空将を団長とする特命監察を行った。世にいう「鏑木監察」の報告内容であった。当時の私は「鏑木監察報告」の指摘事項を幹部自衛官としてわが身の反省と自分の職務にどのように生かすか、服務指導計画に具現化するかに努めたものであった。

「鏑木監察」については次回にふれることにします。

 

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《 古びて変色した昭和45年3月16日毎日新聞記事の一部、整理をしていたら当時収集し一冊にファイルしていた新聞切り抜きが出てきた。 》

 

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 《 昭和48年5月1か月間行われた「鏑木監察」について、「鏑木監察報告」の主要点などを掲載した同年8月9日朝雲新聞の記事 》

 

2.特異な社会事象は約半年後に服務面に発現

    人事幕僚として、隊員の服務指導に当たったり、服務事故の調査分析を行っていて共通するものは、一般社会で問題となる特異事象が現れるものは、おおむね半年後には自衛隊にも同様の事象が発現することであった。

 自衛隊員も社会人であり、家庭を営む市民である。世間で発生するサラ金覚せい剤等すべての出来事は隊員の身辺に静かに忍び寄ってくるものであった。

 社会の出来事をいち早く察知し、先行して対策処置を取り、未然に事故の発生を食い止め服務事故の絶無を図ることが求められていた。鏑木監察報告はいみじくも、指揮統率、人間関係、処遇改善の3項目からなり、隊員の身上把握や下意上達などのあり方が指摘されていた。

 人事幕僚として、微力ながら指揮官の指揮統率の基本に関わる職務に、どれほど補佐できるのか身が引き締まる思いをする毎日であった。