昭和の航空自衛隊の思い出(220) 人事幹部会(73会)と要撃管制幹部会(17会)

1.   人事幹部課程出身者の人事幹部会(73会)

  ❶  人事担当幹部及空曹等との関わり

  昭和48年7月指揮幕僚課程を卒業して以来、人事幹部としての交際の範囲が一挙に広がってきた。それは各級の司令部勤務をするようになったことから航空方面隊、さらには航空総隊と漸次、広範に関係部隊・機関等の人事担当者と関わるようになったことによるものであった。

 平成2年4月の退官までの15年間に人事職域の主要な先輩の皆さんから現場の部隊等の人事係空曹、事務官と色々な機会で面識を持つようになった。

 最後の空幕勤務においては、航空自衛隊の部隊・機関等に勤務する人事部長・班長・担当者、とりわけ、人事幹部及び空曹人事課程の修了者のほとんどを知るようになった。

 府中基地における人事幹部懇談会

 航空総隊司令部に勤務して府中基地においては、定例的に基地内の幹部公室を利用して、所在の人事幹部の懇談会を持ち交流を図った。

    編制部隊の人事部長・人事班長会議は年に1~2回開催されることがあるが、同一基地内の人事幹部出身者が懇談・懇親の場を持つことは珍しかった。

 その背景には、当時、府中基地には、航空総隊司令部、航空管制気象団司令部及び航空警務隊本部等が所在し、山根勝己警務隊司令をはじめとして、高浪淳総隊司令部人事部長、神藤武夫管気団司令部人事部長等錚々たる大先輩の他多数の人事幹部課程修了者が部隊に配置されていたことにあった。大先輩から大所高所の立場でいろいろな話しを聞くことができた。

 当時、各職域の出身者は職域会を結成し、懇談の場があったが、人事職域については人事幹部が懇談会等を設けることは、職域で固まるとか、派閥を作ることにつながる、人事管理に弊害があるといった理由であまり良くないという風潮があった。

 当時、こうしたことは全くなく、むしろこの懇談会で私は先輩たちの話を聞いて啓発されるところが大きかったように憶えている。尊敬する先輩の背中を見て学び育つものであり、有形無形の後継者の育成と人事幹部の相互啓発に資するものがあった。

 人事職域会の切磋琢磨と懇親

 このような体験を経て、その後、第3術科学校人事総務・要務教育を担当した折、後輩の育成のためには職域の会も必要であることを一層強く感じるようになった。

 こうしたことから、後年、空幕人事2班長に補職された折、数年前に結成された人事幹部会(7344会)について、直接担当者となって組織の強化拡充と運営に努力することになった。

 運用に当たっては、他の職域のように全国的規模や規約と総会、事業を行うという形ではなく、懇親会的なものとし、開催の折には、関東周辺のOBの諸兄にも参加を呼び掛け、多数の先輩に参加していただき喜ばれた。  

 退官後もしばらくは、時々会合に出席して旧交を温め、現職の皆さんの活躍ぶりを眺めたものであった。

 航空自衛隊の人事課程教育及び人事管理は 大変素晴らしいものであり、退官後といえども現職を誠実にこなせばどこに行っても役立つものであることを強調したものであった。この業務は発想力・企画力・調整力・実行力の上に迅速にして的確な実務処理力が求められ、どこにおいても即戦力として役立つ能力が身につく業務であったからである。

 OBの立場から後輩たちに人事課程教育及び人事総務業務はどんな仕事についても立ち向かえるものであり、自信を持って職務に専念してもらいたいと呼びかけた。今もその考えに変わりはなく、自信を持って言える。

 

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 《 平成8年8月16日、73会も発展し、OBになってから懇親会に出席し、乾杯の音頭をとったりしたことがある。》

 

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 《 人事幹部(7324)の会員と一緒に 》  

 

2.要撃管制幹部課程出身者のコントロ-ラ-会(17会)

 幹部自衛官に任官した時の職種は、要撃管制幹部であり、レ―ダ―基地・第一線部隊で航空警戒管制に当たり、真剣に要撃戦技の技量向上と戦術戦法の研究に励んだ。航空自衛隊の防空組織の作戦指揮の要として、作戦運用のものの見方・考え方を学び血と肉にすることができた。

 こうした経験をして人事幹部へ転進したが、東京周辺に勤務した折は、積極的にコントロ-ラ-懇親会に出席し、航空自衛隊の中枢で活躍するに諸兄に交じり、コントロ-ラ-仲間の生きざまを膚で感じとったり、若い時代に頭と身体で覚えた作戦運用の基本を保持して、時代に対応した人事運用・管理を目指したものであった。

 今日も、賛助会員として、機関紙を通じて航空自衛隊の行く末を見守っている。

 

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 《 昭和53年2月15日 東京におけるコントロ-ラ-懇親会、コントロ-ラ-から航空幕僚長航空自衛隊の中枢における主要幹部が生まれ、航空警戒管制部隊等の長となっていった。当時の私にとっては光輝く大先輩諸兄であった。これが有形無形の大きな感化を与えていたようだ。今日写真を見ても懐かしい先輩の皆さんの顔ばかりである。》