陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」
この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。
*現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【 】に加えることにした。
25. 霧の福知山駐屯地
昭和30年1月陸上自衛隊米子駐屯地の臨時新隊員教育隊での前期教育を終了し、新隊員教育の後期は、普通科に指定され、昭和30年4月福知山駐屯地に移動した。
ここは、第7普通科連隊が所在し、 新隊員教育隊も人員が多かったように記憶している。
旧陸軍時代の隊舎がそのまま使用されており、旧軍からの話が伝えられていた。
福知山の4.5月は、夜は濃霧が垂れ込めて、営庭や隊舎の廊下を這うようにして忍び込む様子は忘れがたいものがある、
この地は、昔から軍都として栄えた町といわれている。四周を山で囲まれた盆地である。
☆福知山駐屯地につては、2014.03.24 「昭和の陸上自衛隊の思い出(4) 福知山における後期新隊員教育」 で取り上げたので駐屯地の概要は省略する。
【 陸上自衛隊福知山駐屯地での新隊員後期教育は、昭和30年4月から始まったが、航空自衛隊第1期操縦学生として幹部学校(中途で幹部候補生学校所属)入校するまでのわずか2か月であったが、合格通知をもらってからは、胸の中は大空への夢で躍っていた。
新隊員の後期教育は、訓練も野外を中心とした課目が多くなり、一生懸命に普通科(歩兵)隊員の基礎訓練を学んだ。
福知山駐屯地は、連隊本部所在地だけに、新隊員にとっては近寄りがたいところであった。
福知山と言えば、霧が連想されるくらいである。ちょうど、4月、5月の季節でこの地特有の霧を経験した。霧が営庭を這うように広がる様子今でも脳裏に刻み込まれている。霧の中にかすかに見える連隊本部から発するラッパの号音は映画のシーンのようであった。
ここでの2か月間はもっぱら、訓練に明け暮れて、福知山の街を散策することができなかったのが残念であった。もう一度訪れてみたい街である。わが青春の日々がそこにあるからであろうか。】