昭和の陸上自衛隊の思い出(12 ) 「徒然の記」 最初のインスタント・非常糧食の味

陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」

 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。

  *現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【  】に加えることにした。

 

 16.  最初のインスタント・非常糧食の味

❶   野外行軍の昼食

 前期の新隊員教育が後半に入ると、少しづつ行軍距離も伸びた。米子市の郊外ヘの行軍があり、何回か川伝いに堤防道路を行軍した。

 新隊員の生活は、駐屯地の中で大半を過ごす毎日であったので、街の空気に触れることは何よりも嬉しかった。

 行軍時の昼食は、出発前に飯盒に入れて携行し食べる場合、あるいは昼食地点に食事運搬車を配置しその場で配色して食べることがあったが、米子では飯盒炊飯は経験しなかった。

❷   初めてのインスタント・非常糧食

 昼食で初めてもらったインスタントの非常糧食の餅は忘れられない一つである。飯盒のふたに粉を入れて、水を注ぎかき混ぜると餅が出来上がった。あんこも同じく粉末を水でこねるとあんこが出来上がり、これにまぶして食べると意外においしかった。最初量は少ないように感じたが、食べて見ると結構腹も膨れ満足感があった。

 その後、食品の改善に伴っていろいろな非常糧食にお目にかかる機会が多く、口にすることがあった。この最初のインスタント・非常糧食の味はいまだ印象に残る。

 今考えると、昭和の30年代の始まりの時期であり、インスタントが出始めた最初の頃であったようだ。即席のあんころ餅が実に美味しく感じた。

    昭和20年8月大東亜戦争が終結し、敗戦から立ち直ろうとあらゆる面で復興の途上にあった時代で、新しい事の出会いが多かった。昭和30年のあんころ餅に次いで、航空自衛隊入隊して、昭和36年代のインスタントラーメンが印象に残っている。

   今日、インスタント食品や非常糧食がふんだんに出回るようになった。しかも品質・量的にも優れた時代となった。

    昔から各国軍隊では、任務遂行上、集団給食の面から携行食品・非常糧食をいち早くとり入れたものである。その点では一般より新しいものを食する経験をしたとも言える。 】