陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」
この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。
*現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【 】に加えることにした。
18. 常時携帯のフォ-ク
❶ フォークの常時携帯
昭和30年1月から5月の陸上自衛隊の新隊員生活で隊内の食事時間は最も楽しいひとときであった。どの隊員のポケットを見てもフォ-ク の端が顔を出していた。中にはナイフ等の付いた七つ道具張りの一式を自慢げに持ち歩いているものもいた。
「フォ-ク を持ち歩く」ことは、生活の一部であり、行軍していても、訓練でも営内生活でも、必要不可欠な品物であった。
一見非衛生のようであるが、食事の前に熱湯等で洗って使用していた。これは日本人の節約主義というか、合理的な発想なのか、そのいわれは知らない。
食器はアルミのもので、箸等備え付けられるほど豊かでなかった時代だけに、誰が考案したのか全隊員に蔓延しており、私の知る限り陸曹以下はこの方式を採用していた。
❷ 箸の備え付け
その後、航空自衛隊に入隊しても同じ事が行われており、昭和30年代後半には部隊食堂に備え付けの箸が置かれるようになって、この風習は見られなくなった。
【 昭和30年代前半は、マイ箸ならぬ、フォークの携帯が流行った。ポゲットに入れておくだけで、簡単・実用的・便利であった。食事文化に関わる一種の隊員の生活の知恵みたいなものだった。
時には、折り曲げたフォークがポケットからはみ出したり、膨らんだりして格好はよくなかったように記憶している。
衛生面では特に問題が生じた事はなかったように記憶している。食事前に手洗い場で皆んな丁寧にフォークを洗っていた。また、熱湯もあったように記憶いる。
日本が戦後貧しい時代から経済的に立ち直っていく途上における隊内生活の流行であった。当時は割り箸さえなかったが、現在ではしかるべき箸が備え付けられている。】