元自衛官の時想(64) 猛暑日のグラウンドゴルフと中断

    どんな組織でも責任者としての責務は、状況判断と毅然たる決断が求められる。

    昨日は午前、恒例のシニアクラブのグラウンドゴルフを行なった。天気晴朗なれど猛暑であった。ロコモ体操の後、プレイを2ラウンド回っているうちに発汗が激しくなった。

   通常は2ラウンド後、休憩をして1ラウンドをして解散するのが通例であるが、気温の上昇具合から2ラウンドで中止することをメンバーに計って決定し、速やかに木陰に移動し終了した。特に、身体の調子の悪いものが出たわけではないが、その可能性が予測されたので中止することにした。

    当節は、皆んなが猛暑に敏感で対処について格段の知識を持っようになった。しかし、個々の当事者は理屈で分かっていても実際の対処は難しものがある。まだまだ大丈夫と言った類があるからだ。

    そこで僅かな兆候でも見逃さず、中断したり、中止を決断することを怠ってはならない。それがリーダーの責務というものではなかろうか。

    時として、もっと出来る、もう少しとかの意見があるが、こうした時には確固とした全責任を負う覚悟と決断が必要である。ああでもないこうでもないと躊躇すると迷いが出て来て「朝令暮改」や「右顧左眄」となってしまうものだ。

   それにしても、全員が80歳前後の皆さんであるが元気である。 帰宅して、汗をかいた後だけにシャワーを浴びて休養すると爽やかな気分であった。適度の運動と休養のバランスが健康につながっているのだと思う。

    

神原町シニアクラブ(140) 会員加入促進運動の推進

1   会員加入促進運動の背景

    8月定例会の開催について会報をもって連絡した。9月〜10月はシニアクラブの最大の課題である会員増強を目指す新会員の入会促進強化月間が始まる。

    全国的な会員増強運動は、今日続いている全国的な会員数の減少傾向に歯止めをかけシニアクラブの活性化を図るため、全国老人クラブ連合会が平成26年度から開始した「100万人会員増強運動」と連動し、静岡県・市町連合会・単位クラブ・会員が推進する運動である。

    これまでシニアクラブ浜松市・地区連合会・単位クラブの様々な取り組み、シニアクラブ役員の努力にもかかわらず、シニアクラブ浜松市においても会員は平成3年をピークに年々減少傾向にある。このままではクラブ活動の存続が危惧される状況となっているからだ。

2   単位クラブ会長の固い決意と努力

    この危機感は、現場の単位クラブの責任者としても同様で、クラブ全員がこの深刻な現状を理解し、出来得ることはなんでもやってみる必要がある。トップの決意を全員に話し協力を得たいと思っている。

     今日午後は地区連合役員の定例連絡会を行なった。地区連合とした、各クラブが目標を設定して会員加入促進運動を推進すること、また、休眠クラブの再興を強力に働きかけることを再確認した。各クラブともそれぞれ加入促進運動を進めているが、あきらめず、やれることはやっていくことを再確認した。

    具体的な活動は、今までのやり方を一歩超えた実行策を準備して8月定例会においてクラブ会員に示し実施したいと思っている。

3   シニアクラブ浜松市の会員加入促進運動の重点

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 《 神原会会報no98 》 

隊友会活動( 35 )  夏の佐鳴湖クリ-ン作戦参加とその意義

 静岡県隊友会浜松支部は、8月5日午前8時30分から約1時間、佐鳴湖クリ-ン作戦に約20名が参加した。多数の諸団体、特に若い方たちが参加している姿に感動した。会場に立って佐鳴湖を見渡すと、はるか25年前、隊友会浜松支部が初めて佐鳴湖クリ-ン作戦に参加した当時を思い出した。

 平成の始まりのころ、地域へのボランティア活動がすこしづつ市民化しだした時代であった。支部長として隊友会活動の新しい分野として地域社会におけるボランティア活動として、鈴木美三副支部長と力を合わせて、佐鳴湖クリ-ン作戦参加と戦没者墓地の清掃活動を取り入れた。

 時は過ぎ、当時の参加者は数人となってしまった。新しい形で佐鳴湖クリ-ン作戦に絶えることなく継続参加していることに感慨深いものがあった。

 昨夕は恒例の佐鳴湖花火大会が 19:30~20:30行われ、打ち上げ数約1000発とのことであった。わが家からも打ち上げの音が聞こえて来た。10年ほど前までは、家族揃って見物に出かけたが、最近は音を聞くだけになってしまった。

   佐鳴湖花火大会は、浜松市の夏の風物詩として親しまれ、佐鳴湖の周辺自治会が主体となり、「美しい佐鳴湖を取り戻そう」という佐鳴湖浄化啓発運動の一環として、毎年8月に花火大会が開催されている。

 佐鳴湖を取りまく課題は、佐鳴湖の水質も一時は「全国ワースト1」であったが、逐年向上した。佐鳴湖地域協議会の湖の水質浄化や自然愛護、環境保全などの活動は確実に成果を上げてきた。やはり人間社会の英知で解決できるのだ。

 佐鳴湖をきれいにする活動は、佐鳴湖地域協議会を中心に行われているが、隊友会の一支部佐鳴湖クリ-ン作戦参加という形で、少しでもかかわることは意義あることではなかろうか。

❶ 静岡県隊友会浜松支部佐鳴湖クリ-ン作戦参加 

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 ❷ 集合場所

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 ❸ 開会

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 清掃作業  

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 ❺ 佐鳴湖の風景

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➏ 佐鳴湖のブロフィ-ル (浜松市及び佐鳴湖地域協議会ホ-ムベ-ジ 出典)

    佐鳴湖公園は、市街地に隣接する水と緑に恵まれた風光明媚な環境にあり、ジョギングコースや自然散策路として市民に親しまれています。
全体位置図 

   

広さ 約1.2km2
(東京ドーム 26個分)
○平均深さ 約2m
○最大深さ 約2.5m
○縦の長さ 南北約2km
○横の長さ 東西約0.6km
○湖一周の長さ 約5.5km
○湖の水の量 240万m2
(東京ドーム 2杯分)
(25mプール 5,300杯分

❼ 佐鳴湖をきれいにする活動 (佐鳴湖地域協議会ホ-ムベ-ジ 出典)

 地域のみなさんや事業者のみなさんが主体となる取り組みについては、地域協議会や地元自治会と協力しながら活動の輪を地域全体に広めていき、取り組みをすすめていくことが重要です。

佐鳴湖をきれいにする取り組み推進のイメージ図

 

佐鳴湖をきれいにするための役割分担

 佐鳴湖では「みんなでつくる生命の源、佐鳴湖」を合言葉に、地域のみなさんと行政の連携により水質の浄化を進めるとともに、生物の保全や周辺環境の整備に取り組んでいます。

 この実現のために水質改善・水辺環境保全・環境意識向上の目標を設定し、流域の下水道整備、下流河川にたまっている汚泥の浚渫、湖岸へのヨシの植栽などを実施しています。

 佐鳴湖を学区にもつ学校では、教科・選択教科・総合的学習などで佐鳴湖について勉強しています。また、佐鳴湖学習デー、マラソン大会、ヨシ刈りなどの学校行事のさまざまな場面で佐鳴湖を利用しています。

佐鳴湖をきれいにするための役割分担の図

神原町花の会(花美原会)(351) 猛暑に鍛えられるコスモス畑

 自然界は厳しい。猛暑で枯れていくものもあれば生き残っていくものもある。神原町花の会(花美原会)で管理するコスモス畑は、台風12号の強風でコスモスが少し傾いたものの大勢に影響はないようだ。成長するにつれてまっすぐに伸びていくからだ。

 なまじっか人間が同情して手助けするとおかしくなる。自然界の厳しさに耐えてきれいな花を咲かせる。9月上旬には、住宅に囲まれた花畑にコスモスが秋風にそよぐ風景が見られるであろう。 

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《 平成30年8月3日午後、コスモス花畑 》 

元自衛官の時想(63)  平成32年(2020年)の東京五輪・パラリンピックへの期待と昭和39年(1964年)の東京オリンピックの思い出

1 平成32年(2020年)の東京五輪パラリンピックへの期待

   最近は、平成32年(2020年)の東京五輪パラリンピックがメディアで頻繁に話題として取り上げられるようになった。会場やアクセスの建設進捗状況、入場チケットの金額、大会中の熱中症対策から開閉会式の制作体制、聖火地の松島基地の選定などが報じられている。

 これからは日を追って代表選手の育成選考など様々な話題が提供されるようになるであろう。こうしたことで徐々に日本全国津々浦々まで東京五輪パラリンピックの関心が高まっていくに違いない。

 昭和39年(1964年)の東京オリンピック当時と平成32年(2020年)の東京オリンピックパラリンピックとの違いは、発展途上の高度成長期の日本と高度成長を経験し、バブル等幾多の至難を乗り越え成熟し充実発展した日本であることである。

 こうした点から、東京五輪は、なんといっても日本選手の活躍とわが国の充実発展の真の姿を全世界に発信できることであろう。 

2 昭和39年(1964年)の東京オリンピックの思い出

❶ 開会式上空に五輪のマ-クを描いたブル-インパルス

 東京五輪といえば、今から54年前の昭和39年(1964年)日本を沸かせた「東京オリンピック」の開会式が思い出される。

    当時、航空自衛官の2等空尉として入間基地に所在する中部航空警戒管制団司令部に勤務し、中警団司令兼ねて入間基地司令の副官を務めていた。同期の第1期操縦学生の淡野徹君・藤縄忠君・西村克重君の三君がブルーインパルスの一員として日本晴れの東京代々木国立競技場の上空に鮮やかに五輪の輪を描いた感動的な情景が脳裏に強く残っている。

❷ 栄光の銅メダルに輝いたマラソン円谷幸吉選手

 競技の中では、私が自衛官であったせいか、陸上自衛官自衛隊体育学校円谷幸吉選手が東京五輪ラソンで栄光の銅メダルに輝いたこと、その後、昭和43年(1968年)メキシコシティ五輪を控えて同年1月に、期待されながら身体等の苦境で27歳で遺書を残して命を絶った衝撃的な出来事が強く記憶に残っている。

 後年、航空幕僚監部人事課に勤務し、准尉・空曹空士の人事を担当した折、体育学校を何度か訪れ、円谷選手の功績をたたえる諸資料を拝見し涙したことがある。

 円谷選手について、ウイキペディアは、その間のことを次のように記録している。「特に、このマラソン東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなり、さらに男子10000mと合わせて2種目入賞も果たして「日本陸上界を救った」とまで言われた。また銅メダルではあったものの、国立競技場で日の丸が掲揚されたのは、メダルを獲得した日本選手では円谷選手のみであった。 

 「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、また円谷の関係者ら多くの涙を誘った。」(Wikipedia出典)

❸ 大松監督と女子バレーボールチーム「東洋の魔女

 東京にオリンピックの競技では、すぐに思い浮かぶのは 、「東洋の魔女」こと、日本の女子バレーボールチームである。「鬼の大松」と言われた大松博文監督を中心としてまとめられたこの女子バレーチームは、175戦連勝という輝かしい記録をマークしている強豪であった。非常に厳しい練習を積み重ねた彼女たちは、3セットを連取して見事金メダルに輝いた。

 東洋の魔女を率いた大松博文監督は、スパルタトレーニングが有名で「相手が10練習してるならこっちは15練習しろ!」といったやり方で あった。また、体格で劣る日本が世界と戦うために編み出したのが「回転レシーブ」で、これを駆使して金メダルを獲得したのであった。選手たちをやる気にさせた大松博文監督の「俺についてこい!」は有名で映画化もされものだった。

❹   三波春夫東京五輪音頭が全国にこだました

    敗戦から立ち上がった上り坂の日本、東京オリンピックを迎える国民の心を明るくした歌が三波春夫の「東京五輪音頭」であった。東京オリンピックのテ-マソングであり、声量があり溌剌とした歌声は日本全国に鳴り響いたものである。

    世界の人々を招くおもてなしの心を国民的歌手がこの歌で広めたもので今日に至るも強く胸に残っている。今再び新しい東京五輪音頭が出てほしいと思うのは私だけの思いであろうか。 

    そう思ってネットで調べてみたら、「2020東京五輪音頭」が制定されていた。2020年東京五輪パラリンピックの大会機運醸成のため、1964年東京五輪時に流行した「東京五輪音頭」を現代風にアレンジする取り組みで、「新東京五輪音頭」であった。まだまだなじみが薄いが日本全国に鳴り響いてほしいものである。

3 健康で 平成32年(2020年)の東京五輪パラリンピックを観たい

 時代は進展している。平成から新しい年号となっているが、次の平成32年(2020年)の東京五輪パラリンピックは、平昌五輪大会での活躍以上に日本選手の活躍が観られるであろう。その時には85歳となっている。そのためには健康であることだ。

 わが国はすばらしい歴史と文化、政治・経済産業・社会機構を有している。厳しい国際社会において、わが国の平和と独立を維持していくためには「真に独立国家としての国のかたち」をさらにしっかりとしていかなければならない。次の東京オリンピックの成功のためにも、今までに倍加して、今後の2年間の確固たる政治外交・安全保障・経済等の強力な活動と発展が求められている。

元自衛官の時想(62) 人への感謝の言葉「ありがとう」

   人の発する言葉の中で最も美しく、一番感動を呼ぶ言葉は何といっても「ありがとう」「ありがとうございます」の一語であろう。簡潔明瞭にしてこれ以上の言葉はない。日常茶飯事に使っている言葉であるが、これほど無限の力を持つ言葉はない。

 それについて思い出されるのは、平昌五輪において栄光に輝いた日本選手の言葉であった。

 ちなみに、第23回冬季オリンピック大会は、大韓民国江原道平昌で平成30年(2018年)2月9日から25日までの17日間熱戦が繰り広げられた。平昌五輪大会での日本選手の活躍は素晴らしく、獲得したメダルは金4、銀5、銅4の計13個であった。

 私が感動したのは、平昌五輪での日本選手の活躍もさることながら、栄光の金メダル等に輝いた選手が最初に発した言葉は、インタビュ-で異口同音に育ててくれた人への感謝のことば「ありがとう」「ありがとうごさいます」であった。自分を育ててくれた人への感謝の言葉の数々が今も強く印象に残っている。 

 ちなみに、2月平昌五輪が終わった時の所感を次のようにメモしていた。 

  1  日本選手のテレビ観戦と応援

 国民の多くは、日本選手の競技に注目し、テレビにかじりついての観戦であった。リアルタイムの実況中継は迫力があり、感動する場面が多くあり印象に残った。事後に編集したダイゼスト版の視聴よりはるかに迫力がある。やはり臨場感を覚えるかどうかの違いではなかろうか。 

2   スポーツ競技と極限を競う誇れる入賞

 スポーツ競技は、選手の資質能力と練成の成果であり、人間の能力の極限を競うものではなかろうか。勝負の世界は運もある。これらをすべて包括した結果が入賞につながるものであり、誇れる入賞と言える。 

3   感動を呼ぶ激戦とスポーツマンシップ

  本大会でも、多くの感動を呼ぶ激戦とスポーツマンシップを発揮した麗しい場面を拝見することがあった。とりわけ勝負を終わった後のお互い相手をたたえる場面は美しいものがあった。真剣に競い合った者同士間しかできないものであろう。相手の実力・資質能力を知り尽くしているからこそ、お互いの勝負結果を称えあうことが出来るものではなかろうか。

4  入賞者の言葉「家族へのありがとう」と陰で支えてくれた人への感謝

 入賞者のインタ-ビュ-における言葉は、全員一致して家族への感謝「ありがとう」であった。家族のみならず監督・コ-チ等の指導者から物心両面にわたって協力支援してくれた人たちの総和の力が入賞に結びついてたといえる。心からの感謝の「ありがとう」」「ありがとうごさいます」には千金の重みがあった。

5 入賞できなかった選手への思いと惜しみない応援

  世界一を競う競技である限り、入賞に輝くかどうかは厳しい世界である。人知れぬ精進努力をしても、僅差で勝敗が決まる。惜しくも入賞を逸した選手へのいたわりと惜しみない賞賛と応援は、次への飛躍につながるであろう。

山門の人生の教示   社会生活の基本「正しく・楽しく・仲よく」 

    8月に入った。晴天下、樹々に囲まれた天龍山洞雲寺の参道を進むと、静寂の中にひときわ激しいセミの大合唱があった。墓参りを終えて境内を見渡すと真夏日の朝がそこにあった。

 山門の掲示は「正しく・楽しく・仲よく」である。人生は正しく・楽しく・仲よくが一番である。要するに平凡のようであるが普通の生活をするのがよいとの示唆であろうと解釈した。

 「正しく 楽しく 仲よく」とあるからと言って聖人のごとき生活ができるわけがない。人として恥ずかしくない普通の生活をすることが、正しく・楽しく・仲よくに繋がるのではなかろうか。とりわけ、正しく・楽しく・仲よくは家庭や社会生活の基本ではなかろうか。人としての生き方を示した道標でもある。

 8月は間もなくお盆を迎える。先祖や亡き両親・兄姉たちも天上からそう願っているであろう。

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《 浜松市西区神ケ谷町天霊山洞雲寺掲示板「正しく 楽しく 仲よく」 》