浜ちゃん日記 お天道様と自然の恵み

1  ままならないお天気模様

    6月9日、朝から気温はグングン上がり猛暑となつた。11日はシニアクラブの定例会を開催することとしており、お天気が気がかりである。天気予報によると、大型台風5号が北上しており、今後の接近進路と当地への影響について注目している。お天気だけはままならないからだ。

2  売れる商売上手に感心

    家庭菜園は、昨日朝、耕運機を動かしてサツマイモの畝を作っておいた。午前は夫婦して車でトピア浜松のファマーズマーケットに干し芋用にするためニンジン芋の苗を求めてでかけた。夕方には家内がニンジン芋の植え付けを完了した。

   ファマーズマーケットでは、開店時間前からお客がいっぱいであった。採りたての新鮮な農産物が並び商売繁盛であった。商売とは何かをしっかりと捉えた商売上手を見た。物は売れないのでなく、売れる商売がそこにあり、開店を待ちきれず、顧客が殺到する状況を見たからだ。

3    田んぼの農村風景

   車で帰る途中、田んぼが展開し、近代的な田植え機による田植えと一本一本確認しての補正や除草作業をしている農村風景が見られたので、車を止めて写真に収めた。見渡すと、田植えをはほぼ終わっているように見受けた。実りの秋がやってくるまでは台風があったりして農家にとっては気が抜けない。

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《 田んぼで手植えの風景は、特別な行事のため以外は、全く見られなくなった。基本的に機械による田植えの時代となった。》

4  健康広場花ラインの風景づくり

    急激な気温上昇からか蒸し暑いため、昼間は行動を取りやめてゆっくり休み、涼しくなった午後4時から行動開始、健康広場の花ラインの草取りなど整備を行った。3時間ほどの作業であったが、程よい汗を流した。

   健康広場の花ラインづくりは、ヒマワリの発芽も大体出たようあるが砂利混じりの土壌だけに、うまくいかなかったところもあるようであるが、全般的にうまくいっていると言えるのではなかろうか。どんな風景が作り出せるのか楽しみである。

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《 ホピ-などの種をこぼし、来年自然播種させるため枯れるまで残すため多少見苦しいが、その横ではヒマワリなど新しい生命が育っている。》

 

隊友会活動(32) 故日野勉隊友の告別式・家族葬に参列して

1.  大先輩日野勉隊友の告別式・家族葬

 隊友会会員であり、つばさ会会員である大先輩の 日野勉氏が()(、平成30年6月5日(火)に享年94歳(満92歳)でご逝去された。告別式が6月8日(金)1300~1400、浜松市の出雲殿において神式で執り行われた。突然ご遺族から訃報をいただき驚き、通夜にて喪主江佐子夫人にお悔やみ申し上げた。

    かって、昭和30年代の初め、浜松基地に所在する整備学校総務課で日野大先輩と一緒に仕事をした浜松在住の松下泰男・二木博行・白岸久夫の各氏も参列した。

2.  制帽・制服が収められた棺

 通夜及び告別式で故人と対面したが、現職当時着用された制服と制帽が収められていた。これぞ自衛官OBであると感動した。故人はもとよりご家族が自衛官であったことを終生誇りとしておられたことの証であり涙を禁じえなかった。

3.浜松航空隊歌を合唱し見送る

 告別式には、親族等のほか隊友会会員・つばさ会会員多数が参列し、「浜松航空隊歌」を合唱してお見送りした。音楽に合わせて勇壮な「浜松航空隊歌」の合唱で故人はどんな思いで彼岸へ旅たちされたであろうか。

 また、祭壇左右には、隊友会浜松支部、浜松つばさ会の供花が飾られた。外薗健一朗つばさ会会長から弔電が届けられた。 

4. 整備学校と敬愛した大先輩の思い出

 創設期の整備学校 

    昭和32年の21歳の春、ジェットパイロットの夢破れて、操縦学生を免ぜられて空士長として、浜松基地に所在する整備学校(現第1術科学校)へ整備学生要員として着任した。

 コ-ス待ち間、学校本部の総務課で総務業務を手伝っているうちに総務課員に登用され再出発することとなった部署であった。

 空士長から3曹・2曹と昇任し、内務副班長・班長も命ぜられ、幹部候補生選抜試験に合格し、幹部候補生学校へ入校するまでの総務課における3年、石原格太郎・鶴田千秋・岩月良行総務課長をはじめ優秀な人材が揃い、私の自衛官人生に良好な有形無形の影響を与えた。

 ❷   目指す空曹像となった敬愛する人事空曹

    昭和の30年代初めは准尉、曹長の階級のない時代で空曹の最上位は1曹 であった。総務課には、課を統括する先任空曹の福田正雄1曹、総務の相良武1曹、訓練の田中正治1曹、人事の日野勉1曹が諸業務の実務を取り仕切っていた。4名とも旧軍の軍歴を持ち、陸自の陸曹を経て、空自に転官、それぞれ個性豊かで、人格はもとより識見・技能に優れた方で私の目指す空曹像てあった。

    後年、人事幕僚として空自の骨幹をなす空曹の人事管理・経歴管理に参画した折も創設期の大先輩の雄姿が浮かび、「航空自衛隊の空曹はかくあるべし」との指標としたものであった。   

    日野勉大先輩は豪快な人柄でありながら、人事業務については、公正を旨とし細心・綿密にして正確な処理をされる方であった。模範的な人事空曹のお一人であった。昭和44年10月第15期3尉候補者課程を卒業、人事総務幹部として活躍、2等空尉で定年退官、事務官として防衛医科大学に勤務された。

 

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《 式場の一角に故人の在りし日の遺影が飾られた。棺に納められた制服・制帽は35年以上前に現職時代に着用されたものであった。退官後、自衛官及び家族が、いかに国家国民から負託された崇高な任務を全うしたことを誇りとしているかの証左と言える。自衛隊勤務の神髄がここにある。》

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《 隊友会会員・つばさ会会員多数が棺を囲み、「浜松航空隊歌」を二番まで合唱し、飯塚雅視浜松つばさ会会長の号令で45度の最敬礼をしお見送りした。》

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《 故日野勉隊友は、享年94歳(満92歳)で永眠された。当地の慣わしで、90歳以上は「長寿」にご縁があるようにと5円をのし袋に入れて皆さんにお配りしている。義母の99歳の永眠に際しても葬儀参列者に「長寿」をお配りした。まさしく天寿を全うしたといえよう。》 

浜ちゃん日記  梅雨を迎え万物が活動の時期

 先日、東海地方も梅雨入りした。今日は曇り空であったが天気予報によると、明日からは傘マ-クが連続してついてきた。花畑をはじめ、わが家の周りや隣近所の花模様を探ってみた。

 梅雨時と言えば、何といってもアジサイの花であるが、当地では最盛期を過ぎた感じである。一方、昨年のこぼれ種から自然播種したひまわりやコスモスが咲きだした。コスモスに至っては秋までに二度咲きとなる。ちょっと早すぎるがこれが自然というものであろうか。

 先に5月下旬に健康広場などに蒔いたひまわりは降雨に恵まれしっかりと発芽した。太陽・降雨・温度の三拍子がそろえば発芽は文句なしだ。

 6月4・5日、シニアクラブで小豆島へ1泊旅行をしたが、往復の高速道路を走る車窓から眺める風景は鮮やかな新緑で生き生きとしているように見えた。

 梅雨を迎え、万物が活動の時期である。

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 《 神原町花畑の掲示板後ろに、すでに背丈1m50cmに伸びたひまわりの花が咲いた。)

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 《 わが家の近くの空き地に可憐なコスモスの花が咲いた。早く種化した後、種がこぼれて秋までに再び開花することになる。》

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 《 わが家と隣家のユリ 》

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《 神原町花畑のアジサイ 》f:id:y_hamada:20180607171325j:plain

《 わが家の花壇 》

 

83歳老いる雑感(41) 生かされた命と心臓CT検査

 ❶ 心臓CT検査   

 5月中旬に心臓CT検査を受けた。検査目的は高血圧と脂質異常症があり、頸動脈に動脈硬化があることから冠動脈評価を行うものであった。画像診断で、血管を調べるために造影剤を使用する必要があり、事前に冠動脈造影の流れなど詳しい説明を受けて同意書に署名した。検査前日の夜入浴後にビソノテ-プ8mgをお腹に貼った。経皮吸収型・β遮断剤のビソノテ-プについては貼付後に特別な変化は生じなかった。

 検査当日は水分を十分にとって検査に臨んだ。検査前に医師から造影剤に関する問診と説明が行われ、CT室では胸に電極を付け、撮影時の息止めの練習を行った。

 本番の冠動脈CTでは、造影剤の注入が点滴で行われた。造影剤の影響で一過性に身体が熱くなるといわれたが、言われてみれば「そうかなぁ」と感じる程度であった。  

 検査の要領は、CT装置からの音声による指示に従って息をたっぷりと吸って、しっかりと止めた。検査台が移動したりして検査しているうちに20分ほどで検査は終了した。検査が終わってから点滴を抜き30分ほど院内で待機して何の問題もないので帰宅した。

❷ 検査結果と画像診断報告書

 検査が終わって10日後の5月末に結果について詳しく説明を受けた。画像診断報告書もいただいた。口頭説明だけではなく、報告書には検査結果の画像がしっかりと付けられており理解が十分にできた。

 今回のような検査は初めてであるが、自分の心臓をめぐる現状を確認できたことは良かった。歳相応に石灰化があり、わずかなプラ-ク病変が認められた。

 70台で不整脈から始まり心房粗動でカテ-テル治療を受けた身体しては、脳梗塞動脈硬化などに対する注意が必要である。

 かかりつけの循環器医の指導はいつも、水分を十分にとること、運動して体重を減らすことである。生かされた命 を大切にするためにもそれなりの努力が求められている。

毎日、いろいろとボランティア活動などで動き回っていることが多少でも役立っているのかもしれない。

 

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 《 心臓CT検査でいただいた資料 》

❸ 64列MDCT

 当循環器クリニックでは、64列MDCTで検査を受けた。かって他病院へ入院して動脈内にカテ-テルを挿入し検査治療したことから考えると、医療機器の著しい進歩発展に恩恵を受けていることがよく分かる。とりわけ検査画像を入れた検査報告書が作成され、患者側にとって、検査結果について医学的に納得のいく内容であった。

 

  

浜ちゃん日記 シニアクラブ 1泊旅行から帰ってきた

   6月4日・5日にかけて、シニアクラブの1泊旅行から無事に帰ってきた。帰路は車の渋滞もあり、午後9時ごろ帰宅した。参加者全員に楽しさと笑顔がいっぱいある旅であった。旅行記は明日以降書くことにしています。  

旅の疲れは、ゆっくりと休むことに尽きる。

浜ちゃん日記   田んぼへしらさぎがやってきた

    長年にわたり西鴨江地域の風物詩となっていたしらさぎ軍団が昨年から忽然といなくなり、どこへいったのであろうかと思っていたら、佐鳴湖の離れ場に新しい軍団を目にした。

   先日夕方、車での買い物の帰りに神ケ谷町の田んぼに餌取りをであろうか、しらさぎ軍団を見つけた。久しぶりの発見であったので、一旦家に帰り、夕方のしらさぎをカメラに収められないかと再びやってきた。

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《 平成30年6月2日 18:00ごろ神ケ谷町の田んぼのしらさぎ軍団 》