浜ちゃん日記 ゴ-ヤ- とビワ

1   ゴーヤー

   今日は、花畑のポピーの整理作業をした後、家庭菜園のゴーヤーの棚作りをした。むかしはニガウリといっていたが今はゴーヤーといった言い方のほうが一般的なのであろうか。

    名は体を表す表すという点では、ニガウリの表現は的確で味があるように思える。ゴーヤーの語感からは沖縄産のイメージが強く感じられる。

   料理多種であるが、一番好きなのは、ゴーヤーチャンプルである。美味しい料理の仕方や料理にあたっての添加物など普及して一層、健康食品としてのイメージが強い。

   今日見た所、ゴーヤーは順調に成長しているようだ。毎年、わが家の家庭菜園でも、採れ出すと次から次ぎえと収穫できるようになる。

   棚作りも頑強に作っておくことが求められている。葉っぱが茂り、実をつけると重みで棚が壊れることがあるからだ。

   炎天下での作業は疲れるが結構楽しいものだ。自分で作り上げるところが満足感を与えてくれる。

2    ビワ

   10年ほど前、種から育ったビワの木は数年来余り実をつけなかったが、今年は美味しい実をつけた。試食したらなかなかのものだった。熟してから孫たちに食べさせようと思っていたら、鳥に食べられてしまう苦い経験から家内の編み出した予防策である。果たしてどうなるか。人間と鳥の知恵比べである。手入れ一生懸命手入れをた家内の気持ちもよく分かるし、鳥たちの気持ちも推察できる。それにしても、実の割にはタネが大きいが、これがビワというものであろう。

     一方、例年豊作のブルーベリーはほんの少しの実しかつけていない。自然界は成り年と不作年があるが、素人にはその辺のところがなかなか理解し難いところである。

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《 熟してから孫たちに食べさせようと思っていたら、鳥に食べられてしまう苦い経験から家内の編み出した予防策である。果たしてどうなるか。人間と鳥の知恵比べである。 》

83歳老いる雑感(40) 歳をとることと老後の生き方

1.  歳をとることと病気

    現役時代は、健康についてさほどな不安・心配をしたことはなかったものだ。70歳を過ぎてから不整脈から始まって心房粗動でカテーテル手術、さらには、腎盂がんによる片方の腎臓と尿管の摘出、ついで膀胱癌による手術を行った。そうした中で、自治会など地域のこと、同期生会のこと、シニアクラブのこと、花の会のことなどをやり遂げることができた。

     35年余の自衛隊生活、定年退官後の自算会及び日本損害保険協会の交通事故相談所勤務を終えて、年金生活自治会活動に入って数年後にいっぺんに大きな病を背負うことになったが、何とか克服できた感じである。人生は油断大敵、これからも何がやってくるかわからないものだ。

    若い時代には考えたこともなかった、「歳をとる」ということがどんなことかが、自分がそれなりの歳になってみてわかるようになった。    

    いつの間にやら、そうこうしているうちに、83歳となり「亡くなった両親の歳を超えた。親はこんなこんな風に見ていたんではなかろうかと、ふと思うことがある。その歳になって見えてくるものがあるからである。

2. 生かされた命と報恩の念

 近代医学と医療技術がなければ、とっくにあの世へ行っていたことは間違いないであろう。そうした意味では現在も生きていることは、お陰様で「生かされた命」そのものであると言って過言ではないであろう。

 一命をとりとめた前後は、いろいろと人生を深刻に考えたが、のど元過ぎれは暑さを忘れるの如く当時のことは忘却の彼方となっている。元気になると歳月とともに「生かされた命」であることも薄れ、「当たり前の命」であるかのごとくふるまっている。こうした点では人間はあまのじゃくであるが、反面、かえってそれがよいのかもしれない。

 そうかといって、「当たり前の命」とふるまっているようで、実は「生かされた命」として神仏に対して感謝し、自分を取り巻く皆さんや社会に感謝している。いつまでも報恩の念を持ち続けたいと思っている。そのことが「自分にできることはないか」と常に思う気持ちが根底にあり、現在の生活のばねとなっていることは間違いない。

3. 人に役立つ生き方

   よく「元気ですね」と言われることがある。「歳相応でカラ元気です」と答えることが多いが、2月1回の定期検査と診断などで循環器関係のクリニックに通院しているが、平均からすると通院回数は少ない方かもしれない。薬は毎日夕食後に1錠高血圧とコレストロ-ルを下げる薬を服用している。これも服用種類と数からすると少ない方かもしれない。

 昨今は体力などかなり落ちたが、「自分にできることはないか」と自分に問いかけると「まだまだ役立つことがあるかも知れない」と思っている自分がいることに驚くのである。

 どのくらい生きられるか全く予想もつかないが、天運に任せる以外にないであろう。80歳路を歩む今日の願望は、寝込まないで自分のことは自分ででき、自分のためにやっていることが、ポランティア活動に繋がり人様に役立つことが出来れば幸いであると考えている。

 老後の生き方に定石・定型があるわけがない。社会の規範の中で自分の思うとおりに生きれは良いのではなかろうか。

 

 

 

    

山門の人生の教示  布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる 

    6月1日早朝6時、浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺の山門に立って、掲示板の「布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる」「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」を拝読して、墓参りをした。

❶  布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる 

  「 布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる」この世における人間の本性でもあり,実相でもある。人間は、狂・凶・狭と理・浰・李の両面をを持ち合われているのではなかろうか。

   非常災害時における食糧など救援物資一つをとりあげても、我れ先にと奪い合えば足りないし、分け合えばあまることになる。自治と規律が保たれて、共助し合えば足りる。布施の心は人の心の中にあるものではなかろうか。

 小学生の頃、大東亜戦争が敗戦となり、食糧難の時代に、両親はおいしいもの、手に入らないものなどをいただいたら自分たちは食べずに必ず持ち帰り、子供たちに分けて与えてくれた。少量であっても子供心に満足感を与えてくれたものである。親とはそうゆうものである。

 子供の頃、我が家の軒下に燕が飛来するころになると、燕の子供は親がえさを運んでくると一斉にくちばしを開けてえさを待つが、よく観察すると順番に平等にえさを与える姿に感動したものである。

❷ 天には豊作を願い 手は耕し続けよ

 「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」、田植えが始まった。天に豊作を願う傍らしっかりと水田を耕し苗を植え付け、炎天下で除草をして育てて初めて実り豊作となる。

    人間の精進・努力に対して、天地は恵みを与えてくれる。世の哲理でもある。すべての作物はどんなに機械化されて来ても、人が手塩にかけた愛情で育てたものに勝るものはない。美味しいお米、果物しかりである。手抜きをしたものを天地は見抜き、やはりそれだけのものであることを知る。

 すべからく天地や神仏への願いに対して、自らの精進・努力なくして、その願いが達成されることはない。

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《 天龍山洞雲寺山門の掲示「布施 うばい(奪い)合えば足りぬ わけ(分け)合えばあまる」》

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《 天龍山洞雲寺山門の掲示「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」》

神原町花の会(花美原会)( 343)  健康広場外柵沿いの花ライン

 今日5月31日、午前に健康広場南側の外柵沿いにひまわりとほうき草の種をまいた。ほうき草は初めての試みである。天気が続いた後では三角鍬も入らないほどであるが、前日の降雨によりやや湿っていた関係でラインを設けることが出来た。土壌は砂利がかなりまじっているのでどの程度の発芽になるかわからないが挑戦した。

 朝から曇り空であったが、予定の半分ほど進んだところで、雨が激しくなったので急いで種をまき土をかぶせて作業を中止した。降雨があり意外に良い結果をもたらすかもしれない。

 

健康広場南側

 

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昨年の花ライン(29.8.24)

 

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神原町シニアクラブ(124) 水曜会(輪投げ)と浜松市輪投げ大会出場選手の練習

 第53回シニアクラブ浜松市輪投げ大会が、6月14日(木)可美公園総合センタ-で行われる。神久呂地区からは、西山町・大久保町・神原町から各2個チ-ム(1個チ-ム6名)が参加する。

 神原町シニアクラブは、毎週水曜日にロコモと輪投げを中心とした水曜会(健康サロン)を設けているが、毎回17~19名ほどの会員が参加している。今日は午前にグラウンドゴルフを楽しみ、午後は輪投げとなった。

 大会を控え、出場選手要員と補欠・支援要員に仕分けして、大会まで約1月半、本番同様に練習に励んできた。昨年10月の初出場から今回2回目の参加であり、技量・経験は他のクラブから比べたら、まだまだであるが積極的に参加することによって、クラブ活動の充実と会員の健康維持につなげていきたいと努力している。

 輪投げは、昨年大会出場を決定して以降、本格的に取り組んだところ、各人の本気度も高揚し熱心に技量向上を目指すようになった。気持ちだけの参加賞のほか毎回高得点者1位から5位までに賞品を出している。雰囲気も大いに盛り上がってきた。

 どの競技でもそうであるが、結構みんな楽しみながら燃えてくるものだ。連続して高得点が入ると大いに喜び、入らなくて破れかぶれで投げたら高得点になったりで、笑いと活気が生まれるところがよい。高齢者に合った種目であることは間違いない。

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 練習試合風景 》
 

 

神原町花の会(花美原会)( 342)  健康広場及び周辺の花ライン

   本日・5月28日午前、シニアクラブと連帯して健康広場の東側及び周辺の花ラインを整備し、ひまわりの種をまいた。明日から降雨が予想されており、発芽には好条件となるものとみられる。また前回、前々回に蒔いたひまわりも発芽の準備が整いつつあるようだ。ひまわり種まきが終わっていないところは南側の道路沿いのみとなった。 

 また、集積所の花壇及び開水路寄りにひまわりの種をまいた。2ケ月後にはどんな景観が生まれるであろうか、楽しみである。

 健康広場北側

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 健康広場東側

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 ❸ 集積所開水路寄り

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わが神久呂 平成30年度神久呂ふれあい大学の開講

 5月28日午前、平成30年度神久呂ふれあい大学の学習講座が始まった。16年ぐらい前からこの教室には参加してきたが、毎年新企画もあり結構楽しんできた。参加者はどうしてもシニアクラブの会員が主体となってしまうが、広く一般の高齢者に門戸が開かれている。

 高齢者対象の教室であり、参加者は、講座を受講する、参加すること自体が総じて生活意欲の高い方が集まってきているように見受ける。こうした点からも一人でも多くの方が参加してもらいたいと思う。もったいない地域の事業である。 

 開講式では、神久呂連合会長ということから受講生代表の生徒会長みたいなのになってしまった。どうもぼけている暇がないようだ。 

 今日の講座は、講師静岡県生涯学習インストラクタ-の会・浜松市シルバ-サポ-タ-藤沼在久氏で「人生を楽しく、いかに生きるか」のテ-マで熱弁を振るわれた。受講生を時折笑わせて、その話術も素晴らしいものであった。主題について真剣に、誠実に話されてその心が伝わってきた。

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《 藤沼在久氏の教養講座「人生を楽しく、いかに生きるか」》

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《 平成30年度神久呂ふれあい大学の概要 》