浜ちゃんブログ(12) わがブログについての概要

 ブログを立ち上げてから4年たった。立ち上げるにあたって、どんな方法やどんな形式がよいかそれなりに:検討した結果、現在の形をとることになった。

1.写真を取り入れたブログ

 10年前に花活動をするようになって、花と活動状況を写真で記録したいとの思いから、70歳代になってから写真に興味を持ち撮影するようになった。一見は百閒にしかずである。

    こうしたきっかけから、ごく一般的なデジカメではあるが、ブログの中に写真を取り入れることにした。素人の趣味でしかないが、カメラを通して物事を見つめることに関心を持つようになった。

 ブログとは別に、最近では、記録写真ではなく、できれば写真を通して自分の思いを表現する芸術的なものに高めたいと思っています。

2.有料で自前のブログ

 ブログを始めるにあたって、最初から有料のものを利用したいと思っていたが、手始めに無料のものから始めた。ブログを始めすぐに気が付いたのは、写真の容量がすぐにいっぱいになってしまったことです。

 有料を利用することにした理由は、まず広告を入れないこと、自分なりのデザインで進めたいこと、自分のやることに責任を持つことであった。料金も高くなく、安心して利用できる利点がある。 写真もかなりの容量であるが心配せず利用しています。

    したがって、毎日のテーマを決めてから書くことにしているので、どうしても多少長文となってしまいます。

    社会とのつながりの中で自分を中心とした主題・内容としているので、世間をあっ〜と言わせるようなことや、受けることを狙うことは考えていません。

3.ブログの主題と内容

    ブログを通して、わが人生を書きたいと思っているので、主題と内容もそのようになっています。ネットを通して私事を書くことから無料でなく、自分の書いたものに責任を持つという理由から有料を選択しています。

   主たる項目は、順不同で列挙すると、つぎのとおりです。

    項目がダブったところがあり整理したいが、ブログ数1.500に達するようになって労力面から難しくなった。気がついたところを気長にボツボツ修正したいと考えております。

1「昭和の陸上自衛隊の思い出」・新隊員教育時代のこと

2「航空自衛隊第1期操縦学生」・初級操縦課程の思い出、操学1期の活躍、1期生会の活動など

3「昭和の航空自衛隊の思い出」・35年余の自衛隊勤務・自衛官生活の思い出

4「元自衛官の時想」・元自衛官としての折々の感想、軍事に限定しない

5「防衛雑感」・自衛隊OBから見た防衛雑感

6「隊友会活動」・浜松支部長としての隊友会活動など

7「心のふるさと」・わがふるさと鳥取湯梨浜町(羽合町).宇野のこと、子供の頃のこと

8「浜松鳥取県人会(因伯会)」・県人会の活動のこと

9「シニアクラブ」・シニアクラブの活動のこと

10「自治会活動」・自治会長としての活動やまちづくり構想など

11「浜ちゃん日記」・日常生活を中心としたこと

12「老いる雑感」・老いていく過程の身体の状況と心情

13「神原町花の会(花美原会)」・花畑・花壇の状況と花いっぱい活動など

14「今日と明日もいきいき人生」・生き甲斐を中心としたもの

15  「わが趣味」・わが趣味を中心としたもの

16「自衛隊家族会(父兄会)」・家族会活動のこと

17「がんとの闘い」・二度のがん発病と手術、経過など

18「自動車保険料率算定会の思い出」・退官後の第2の就職と調査事務所勤務などの思い出と損調OB会のこと

19「浜ちゃんブログ」・わがブログについての考えや編集など

20「わが神久呂」・神久呂地区のこと

21「わが神原町」・神原町のこと

4.   市井の自衛隊OBのブログ

 世の中色々なことがあり、だれしもそれなりの見方や考えがあるものです。今日のように価値観が多様化した時代はなおさらです。

   軍事については、自衛官生活35年余の経験があリ、常に自分なりの所見を持っているので、時折、感想を述べることがあります。

 現職時代は、組織の一員として必要にして十分な情報をもって分析・検討・評価して判断・決心できたが、OBとなっては、諸情報・資料を収集し、研究しているわけでないので、市井のOBの感想でしかない。ましてや軍事評論家でもない。折々の時想です。

5.ブログで気を付けていること

 私のブログは、社会とのつながりからくる毎日の生活観や現職時代の思い出を中心としている。政治的な主義・主張をする場と考えていない。ましてや、他人を鋭く批判したりすることなど毛頭考えていない。

 人生観・世界観などは80余年生きてきた者の「たわごと」でしかない。折角、人生80年以上生きてきたので、悲観的なものではなく、前向きに明るい内容のものにしたいと思っています。

6.書くことによって元気をもらっている。

 ブログを書くことによって、毎日パソコンに向かうことになる。大方の年寄りが寝ている時刻にパソコンに向かっていることがある。健康に良いかどうかは別にして、基本的に毎日書くことにしているので、それなりの気力と気迫をもって過ごすことになる。それが元気につながっているのかもしれない。

 ブログを書くことは、考えることと多少とも時間を食うことになり、別の見方をすれば、病気を寄せ付けない魔よけのようなものだと思ってくれと家人に話している。

    他人様に迷惑をかけないで、書くことによって、元気をもらっていることに感謝しています。

 

元自衛官の時想(15)  自衛隊の憲法第9条への明記提言と 河野統合幕僚長の発言

   ここ数日の新聞・テレビ等メデイアを見たりして驚いたことがある。

  先般、安倍内閣総理大臣(自民党総裁)が、自衛隊について、憲法第9条への明記を提言したことについて、制服のトップである河野克俊統合幕僚長が、講演会で感想を問われたことに対し、前置きを付けて「ありがたい」と述べたことについての政党・政治家リーダーと新聞各紙の反応であった。

  自衛隊憲法9条への明文化については、2017-05-09    元自衛官の時想(4)  自衛隊の憲法への明文化で既に自衛隊OBの立場からの所見を述べた。

  私の 最大の関心事は、国家国民と政治が自衛隊の存在、位置付けについて、政党及び政治家リ-ダ-が、今後どのように考え、対処していこうとするのか、その具体的な政策・方針に最大の関心があった。さらには、新聞・テレビ等のメディアがどのように報じるのか動向を注目していた。

  その根底にあるのは、かって35年余にわたって、自衛隊に勤務したOBの一人として、世界各国ごく当たり前の「国家の防衛と軍隊の保持」は、普通の国の姿であることを認識し、我が国が一日も早く「普通の国」になってもらいたいと切望していたからである。

 自衛隊の存在を憲法に明記することに関して、河野克俊統合幕僚長の感想発言について、私の考え・見方と全く同じである社説・主張と記事のいくつかを見つけたからである。

    私は、評論家ではないから、ここでどちらがどうなどと論じるつもりは毛頭ない。市井の自衛隊OBとして、私の所見と全く同じものであったので、その一つを紹介する。

多くのOB、隊友会自衛隊家族会の会員や現職隊員の心情を的確にとらえたものであるといえるであろう。

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《  平成29年5月25日、産経新聞「主張」の切り抜き》

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 《  平成29年5月27日、産経新聞産経抄」の切り抜き 》

 

82歳老いる雑感(18) 自分のことは自分でできる人生・生活

   最近の新聞・テレビの広告・コマーシャルで目につくのは、70代になったら、「自分のことは自分でできる人生」「誰かの負担になりたくない生活」と言った類の呼びかけである。

    本当に核心・本質をついた文句で同感である。シニアクラブで取り組んでいるロコモーション・トレー二ングも同じ趣旨である。

    自分がその歳になってみると、実感そのもので、まさしくそうであるからこうした文句に感心するばかりである。

    老いの顕著な徴候は、足が衰えることであろう。両膝が痛くなったり、筋力が衰えて、両足で立つことができなくなったりする。

    そのためにどうするかである。適度な運動は当然のことであるが、これが実際は難しいものだ。ついたテレビの子守となる。じっとしている方が楽で良い。

    食生活もなんでも食べれば良いが、栄養剤などの薬に頼ることになりやすい。理屈はわかっているが、そうは行かないところが悩ましいところである。

    かく言う私も同じようなものだ。「理屈はわかるが、やめられない」「勝手な自分流の屁理屈つけて得心し、手抜きする」こんなことの繰り返しであの世へ逝くことになる。これが人間というものであろうか。

    結局は、自分が決め実行するしか道はないが、やりきれないで中途半端で終わることになる。これも人間だからであろうか。

 

浜ちゃん日記  久しぶりの雨降りと虹

 昨日から今日終日小雨が降り続いた。本当に久しぶりである。昨日夕方に当地で虹が見られた。夕方から始まる地域の会合に行くため準備をしていたら、家の外に出た妻が気が付いて呼んでくれた。

 早速、カメラをもって、屋外に飛び出して眺めたら、虹も薄い色合いからだんだん濃くなり、さらに増すかと思っていたらすぐに薄くなって消えていった。あっという間の出来事であった。

    他愛のないことであるが、ボケ防止の一環として、何でも見てやろうとデジカメでとらえてみた。

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《 5月25日 18:16~18:21ごろの虹、鮮やかさはないが、大いに気分転換となった。 》

こころのふるさと(30) ふるさと鳥取ファンクラブ

    ふるさと鳥取を誇りとして、「ふるさと鳥取ファンクラブ」に入っている。定期的にふるさとの状況を知ることができる資料が送られてくるのでありがたい。

 高校を卒業してふるさとを離れて62年、毎年一回は故郷に帰っていたが、今は親兄姉を含めて郷里に姉一人だけとなった。歳を重ねるごとに望郷の念は深まる。故郷に思いをはせて、鳥取県総合情報誌「とっとりnow」を読むのが楽しみである。 

1.ふるさと鳥取ファンクラブ通信

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 《 ふるさと鳥取ファンクラブ通信の一部 》

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 《 とっとりnowの表紙、記事内容に、いつも新しい発見がある。 》

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《 鳥取県観光ガイドマップの一部、大山・三徳山鳥取砂丘、この三か所はいくつになっても訪れたいところである。大山は2回登山、三徳山投入堂のそばまで4回、鳥取砂丘は数えきれないくらい訪れた。どんなに歳をとっても故郷に帰ったら三つのうち二つは訪れたいと思っている。》

2.わがふるさと鳥取県湯梨浜町宇野海岸

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《 わが故郷鳥取県湯梨浜町宇野海岸、子供時代は海岸沿いの道路は人が通るか通らないかぐらいの田舎道であった。漁船の小屋が立ち並びかくれんぼごっこの場所であった。沖合の防波ブロックもなく、真っ白い砂浜が続いていた。変わらないのは日本海の打ち寄せる波の音である。東の岩場には、夏休みは毎日水中眼鏡をつけて潜り、どこにどんな魚がいるか分かったものである。 》 

3.ふるさと鳥取ファンクラブ

ふるさと鳥取ファンクラブ

ふるさと鳥取ファンクラブ とは?

「ふるさと鳥取ファンクラブ」は、老若男女、年代を問わず鳥取県をこよなく愛する全国の人々で構成し、現在会員は約2500人。 入会すると、鳥取県総合情報誌『とっとりNOW』を年4回無料でお送りするほか、協賛店での宿泊・買い物などでの優待、県内の指定施設の利用引換券進呈など、さまざまな特典が満載です。毎年各地で開く会員限定の交流会も好評を得ています。

ファンクラブ特典
《 出典 ふるさと鳥取ファンクラブのホ-ムペ-ジ 》

82歳老いる雑感(17) 満82歳の誕生日の感慨

    昨日は、誕生日であった。特別なお祝いがあるわけがないので、淡々と満82歳を迎えた。前日、わが家のカレンダーに目をやったら「82歳」とあるではないか。意識したこともないが、そう言われてみると、「82歳か」とあらためて思った。

  普段と何ら変わらない日を過ごしたが、午前花畑の整理作業と家庭菜園の管理機による土壌改良、畝づくり、午後休養して夜はカラオケ発表会で「九頭竜川」を気持ちよく歌った。年金友の会の関係で地元の農協からお祝いのお菓子が届けられた。

1.  両親から戴いた命と身体

    「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。(孝経)」」(現代風に表現すると、わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母から戴いたものである。それを大切にすること。これが孝行の始めということである。 )、まさしくわが身体は両親から戴いたものである。身体に宿る命を大切にしたい。 

2.  歳の認識と寿命

    正直なところ、歳のことを忘れていることがある。両親とも自分の歳の頃に永眠したので、当時の親の心境もこうであったのかと偲ぶことができるようになった。

    長い人生において、若い頃元気であっても歳を重ねるにつれ、患うことがあるものだ。がんで二回手術するなど大病もしたが、元気にくらしていると、いつの間にやら、苦しんだ過去は忘却の彼方へ、ついつい、いつまでも元気にいられそうに思い、限られた寿命を意識することはなくなった。

   人の寿命は天命と言うしかない。いつの日か逝くときが来たら従容として受け入れてあの世へ行くであろう。

    両親の生きた人生を越えることができそうだ。何歳まで生きられるか、今のところ全く予想もつかない。もっと生きられそうな気がするが果たしてどうであろうか。

3.  気力・体力と体調

    自衛隊で体力気力は鍛えてきた。歳をとるにつれても、やる気はかなりあるが  、体力の衰えはよくわかり自覚している。足腰が弱くなったこと、よくつまづくことがあること、重い物を持てなくなったこと、心房のカテーテルやがん摘出後の経過観察 などあるが、ごく普通の生活をしていることに感謝している。  

4.   社会奉仕

   自衛隊退官以来、仕事をしながら地域の諸活動等役に立つことがあればと社会奉仕をやってきた。隊友会自治会・花いっぱい運動・シニアクラブ、県人会などである。人間生きている限り、可能な範囲で社会に少しでも役立つことができればとの信念のもとにやってきた。

 やれるときにやれることはやっておく、この気持ちで続けてきた。80歳になったらきっぱりとけじめをつけようとしたが、今までのしがらみで自分の勝手にはいかないのが世の習いである。ここ数年でこうした活動もトップとしての立場は整理段階に入っているので減らしつつある。静かに一会員としての役割を果たしていきたいと考えている。 

5.   やりたいこと

 これからやりたいことはいっぱいあるが、どれだけできるであろうか。今までの方向を変針して、できるだけ自分を中心としたものに切り替えることとしたい。

 人間やりたいことがあるうちが花だとよく言われる。体力・気力がどれだけ持続できるかにかかっているようだ。

 誕生日の夜は、神原町と大久保町のカラオケクラブの合同発表会に参加した。趣味のカラオケは、退官後20数年、現役時代を含めると40年以上となる。多くの仲間の歌を聴き、のびのびと楽しくカラオケを楽しんだ。

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《 5月23日夕 神原町・大久保町カラオケクラブ合同発表会 》

 

自治会活動(25) 春の町内一斉草刈り作業

   去る5月21日午前8時から神原町内一斉草刈り作業が行われた。神原町自治会の事業として、町内の全戸が参加しての春秋の年2回の一斉草刈り作業は、町の誕生以来の伝統的な行事の一つとなっている。

 一斉清掃後の刈草・汚泥等の処理は業者によって翌日には処理される。こうして地域住民がこぞって参加し、町内の生活環境が維持管理され明るいまちづくりが行われている。

一斉草刈りの実施前と清掃後を三か所の区域を取り上げ、成果を確認してみた。

1.一斉草刈り作業

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2.環境整備作業

❶ 草刈り前

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❷ 草刈り直後

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❸ 汚泥統処置後 

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