浜ちゃん日記  平成最後の歌会始と横綱稀勢の里の引退・引き際決断

1   平成最後の歌会始

  本日、 新春恒例の「歌会始の儀」が皇居・宮殿で行われた。平成最後の題は「光」。天皇、皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌の他、2万1971人から選ばれた入選者10人の歌などが、伝統的な節回しで披露されたと報じられた。歴史のある宮中行事であり、すばらしい伝統文化であることから、毎年、関心をもって入選者及び歌をレビテレビ・新聞報道で拝見しています。とりわけ、平成最後となる歌会始であった。

   報道によると、今年の一般の入選者のうち、最年長は高知市の元調理師奥宮武男さん(89)、最年少は山梨県甲州市の県立甲府西高1年加賀爪あみさん(16)だった。

 かって、わが神原町シニアクラブの会員であられた大先輩の明治38年生まれの石川𤋮一郎さんは歌会始に入選されたことがある。町民の誇りでもあった。お亡くなりになるまで旅行に行っても紙とペンを手ばなさず、歌を詠んでおられたのが印象に残っている。

     宮内庁のホ-ムベージは「歌会始の儀(宮殿 松の間)」を次のように説明している。
 「人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。
天皇がお催しになる歌会を「歌御会うたごかい」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会つきなみのうたかいが催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始うたごかいはじめ」といいました。」
 「明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。
明治15年(1882年)からは,御製を始め選歌までが新聞に発表されるようになり,明治17年1884年)からは官報に掲載されるようになりました。
大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められました。これにより,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。しかし,大正15年12月,大正天皇崩御のため昭和2年には歌会始は行われなかったので,実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。」
 「そして,先の大戦後は宮内省に置かれていた御歌所が廃止され,在野の歌人に選歌が委嘱されました。また,広く一般の詠進を求めるため,お題は平易なものとされました。預選者は,式場への参入が認められ,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,陪聴者の範囲や人数を拡大しました。また,テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されました。」
「長い歴史を有する宮中の歌会始は,明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ,これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。
毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人めしうどの歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌みうたと続き,最後に御製ぎょせいが披講ひこうされます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。
この儀式は,読師どくじ(司会役),講師こうじ(全句を節をつけずに読む役),発声はっせい(第1句から節をつけて歌う役),講頌こうしょう(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。」とある。 

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《 平成31年1月16日テレビ映像から 》

2   第72代横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)の現役引退と引き際決断

   本日は、大相撲の第72代横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が、両国国技館で会見を開き、現役引退することを発表した。進退を懸けて初場所に臨んでいた稀勢の里であるが、初日から3連敗し引退を決断した。
 稀勢の里は会見で「私、稀勢の里は今場所をもちまして引退し、年寄・荒磯として後進の指導にあたりたいと思います」と発表。「横綱として皆さまの期待に沿えられないというのは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と話した。

 横綱として、最後の決断をし、「土俵人生に一片の悔いもない」と表明した横綱の瞼に一粒の涙があったのが印象的であった。頂点に立った者は、必ず進退の決断のとき来る。引き際決断の時機で人間の真価、評価が決まってくる。

    古来「有終の美を飾る」「花は愛惜に散る」とのことばがあるが、その難しさは、「言うは易く行うは難し」のごとく勇者の美学として語られてきた。これからの人生の道のりは長いものだ。15歳から精進し横綱まで上り詰めた努力の人である。きっと素晴らしい新たなる人生が開けると信じてやまない。

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《 平成31年1月16日テレビ映像から 》