昭和の航空自衛隊の思い出(342) 東京勤務の様々な出会い(1)

 昭和60年(1985)8月防衛庁航空幕僚監部勤務となって、在京周辺の知人との交流が飛躍的に拡大した。

    かって中部航空警戒管制団司令部・部隊の入間基地及び航空総隊司令部の府中基地で勤務した折も在京の友人達と交流を深めたものであった。

  1.  白川元春元統合幕僚会議議長・空将の励まし

   空幕勤務になって、25日経った8月30日午前、突然、白川元春元統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長自衛官の最高位)から電話があり、「今.用事があって、防衛庁にいるから一緒に食事しよう」とお招きを受けた。

    私は白川元空将の元副官であった。昭和40年(1965)、白川1佐が、西部航空方面隊司令部幕僚長から将補に昇任、西部航空警戒管制団司令兼入間基地司令に補職された時、副官としてお仕えした。元陸軍大臣男爵白川義則大将のご子息で実に淡白で快活、豪胆にして気配りされる方であった。

    その後、要職を歴任され航空幕僚長、統幕議長へ栄進された。この間、部隊視察の折には当該基地に私が勤務しておれば、分刻みの行動予定の中でも、顔を見たいからと呼び出しがかかり、声をかけてくださったことがあった。

    内局6階の食堂で久しぶりに楽しく2人で昼食をとった。白川さんは、初めての空幕勤務を喜び激励してくださった。今でも当時のことは強く印象に残っている。

2015-03-30 昭和の航空自衛隊の思い出(118) 副官としてお仕えした 白川元春司令

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