山門の人生の教示  「心の中に降る雨に人の情けが傘をさす」 

 季節は梅雨時である。天気の日もあれば雨の降る日もある。6月15日はお墓参り、年々歳々同じ事の繰り返しであるが、四季折々の変化は、人の心をも変化させてくれる。自然と人間とを考えた時、自然と歩調を合わせて暮らすと潤いのある生活となる。  

 日本の四季は花と緑の変化に顕著に表れている。この頃の雨の日のアジサイは色合いが何とも言えない。わが家の小さな庭も四季の移り変わりに応じて花色が様変わりしてくる。

 沖縄は先日梅雨明けしたと報じられた。日本列島は細長い島国だけに時期的なずれが出てくる。これまた何とも言えない地理的配置であろう。

 浜松市西区神ケ谷町洞雲寺の掲示は、次の言葉であった。

「心の中に降る雨に人の情けが傘をさす」と「誰でも自分の荷をいちばん重いと思う」

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《 浜松市西区神ケ谷町 洞雲寺 》

 

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《28年6月 「心の中に 降る雨に 人の情けが 傘をさす」「誰でも自分の荷をいちばん重いと思う」 》

私の所感を記した。

❶ 心の中に降る雨に人の情けが傘をさす

 この言葉は、人それぞれの感じ方で解釈してよいのではなかろうか。人生の一番の悲しみの時や最大の危機の時に感ずるものであろう。人生において大嵐で難破しそうなときもある。助言・支援などで立ち直ることもある。

 物質的なものは、支援・援助で再起できるが、心の痛みは難しいものだ。これまた千差万別である。心の中に降る雨は人の情けが傘となって立ち直ることもあろう。その傘はいろいろだ。傘のような役割を果たすものから傘そのものであることもある。

 夫婦・親子・兄弟などの死別による悲しみなど心の痛みは言葉の表現に困るほどである。傘の役割をはたせるものはどんなことであろうか。その人の心に寄り添う以外にないであろう。

 私は、若い時代に新婚の妻が産後の肥立ちか悪くて、忽然としてあの世へ旅立っていった。人生最大の危機であったが、周囲はそっとしてくれた。「暖かい傘」であった。その上「時が過ぎるのを待つ」ことが最高の傘であった。遥か半世紀以上前の出来事であった。

❷ 誰でも自分の荷をいちばん重いと思う

 この言葉は分かり易い。自分が一番苦労したと思い、幸福の絶頂の時は一番の幸せ者だと思う。特に苦境に直面した時はその重さに耐えかねるときがあるが、それを乗り越えると、平穏な時期を過ごし忘れていくものだ。

 長い人生において、自分の背負う荷物をいちばん重いと思ったりすることは当たり前のことである。乗り越えていくとその重さを忘れていく。次から次へと新しい重い荷を背負ったと思うこともある。実際は一番重いものであったり、真ん中辺ぐらいであったり、軽い荷であったかもしれない。

 人生いろいろなことに直面する。自分が背負うあらゆる荷は千差万別と言える。どんな場合でも、いちばん重いと思ったとしても人間の性でもあるから致し方のないことだ。いくつになっても「自分だけは」がつきまとうものだが、あるがままに受け止めれはよいのではなかろうか。 

 問題はこの背負った荷をどのように始末していくかである。次なる対処方法で人生は変わってくる。ここから人生の展開がある。