昭和の航空自衛隊の思い 出(296) 定年退官者と諸行事

   自衛隊における定年退職は、外国軍隊で言うならば「名誉除隊」である。立派に所定の任期を務めあげて退官するするからである。当然それなりの処遇をもって送りだされていくのが通例であった。

 これに準じたものが任期制隊員の任期満了退職であった。航空自衛隊の場合、第一回目の任期は3年であった。空曹に昇任すれば任期制を外れ階級に対応した定年年齢が定められている。

 したがって、任期制の隊員は空士長の階級で退職していった。私が勤務した教導高射隊で行ったような任期満了隊員の処遇はぜひ続けてもらいたいと思った。基本的には、退職時の階級に関係なく、任期を立派に果たした隊員は可能な限り最高の礼をもって処されることが必要であると考え、人事幕僚として対応してきた。

 定年退官に当たって、私的には職場の上官や有志が発起人となって退官パ-ティが行われた。退官パ-ティは定年退官夫妻を主賓とし長年の労苦と功績を称えたアットホームな夕べが持たれた。

 公的には、部隊における定年退官行事として、退官記念撮影、退官申告、朝礼等で指揮官から紹介が行われ、引き続き見送りが行われたりするのが通例であった。

 春日基地所在の西警団部隊の定年退職者に対する行事では、合同朝礼で団司令から定年隊員の紹介と合わせて在隊間の功績やエピソ-ドを紹介することが行われた。

 退官者の在隊間の功績やエピソ-ドを事前に収集し上手にまとめることは人事部門の役目であり細心の注意を払って対応した。

 私と一緒に仕事を人たちの一例を紹介しよう。かって苦楽を共にした隊員の定年退官パ-テイには、出来る限り駆けつけて感謝と労をねぎらうことにしていた。どの退官-ティに出席しても、企画担当者の心憎いほどの内容が綿密に計画されており、感動する場面が多かった。   

    何よりもそこにあるものは、国家・国民を守るという崇高な使命を全うして退官する防人の労苦を労わり、感謝の気持ちがあふれていたからではなかろうか。

 

1.団司令部人事部員川棚忠雄3尉の定年退職f:id:y_hamada:20160405155648j:plain

《 昭和59年11月定年退職する川棚忠雄3尉と和子令夫人及び令嬢、副司令早田1佐を囲んで参加者全員で記念撮影をした。》

 

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《 上司の人事部長の立場から祝辞とともに、川棚忠雄3尉と和子令夫人の名前を入れて川棚3尉の功績と令夫人の内助の功を称えた文を贈った。川棚3尉は、昭和27年11月海上の第1期練習員として入隊、29年11月航空へ転官、自衛官生活32年余の豊富な隊務経験を有する方で、准尉の重鎮であった。誠実・温厚な人柄で隊員から慕われた。当時の定年退官者は各人様々な輝かしい隊務歴を持つが、等しく創設期の航空自衛隊の基礎を築いた隊員であった。》

 

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《 川棚3尉の謝辞と別れの言葉、永年にわたる自衛隊勤務は風雪を乗り越える人生航路である。自衛官は一般会社員より若くして定年退官となる。世にいう「若年定年」である。川棚3尉官も熱い熱い言葉を残して第二の人生を歩むことになった。 》

 

2.第3術科学校第4科教官だった後藤悟3尉の定年退官

後藤悟准空尉の定年退官パ-テイ(昭和59年3月若松西鉄ホテル)

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 《 花束を手にした後藤夫妻 》

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《 後藤3尉の元上司として祝辞とともに、一句を贈った。その文面は、後藤悟・絹子夫妻の名前を入れて、人事一筋で生き字引的な大准尉後藤教官の業績をたたえたものとした。教官として精魂を込めて教えたことは学生に引き継がれていくものだ。「輩へ捧げし情熱実を結び、は繁り花開く、教えをの真価、学びしが継ぐ人事」と後藤3尉の功績と令夫人の自衛官生活の支えを称えた。》

 

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《 何を話したか忘れたが、送り送られる者ともに笑顔であった。3術校4科でともに教育に従事した仲間だ、まさしく戦友であり、勤務任地の春日から駆け付けた。》

 

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f:id:y_hamada:20140903225111j:plain 《 第3術科学校第1教育部長浜島誠1佐と一緒に唄う。退官パ-ティは一般の会社等では見られぬほどの心のこもったものであり、どの隊員も終生の思い出としている。当時、休日には浜島部長を囲んで、後藤悟准尉・平野定男1曹と一緒にゴルフをしたものである。後藤3尉は、誠実にして人事分野の識見技能は抜群であり、学生の信頼も厚く頼れる人と周囲から慕われていたから退官パ-ティの出席者は驚くほどであった。》