昭和の航空自衛隊の思い 出(272) おらが部隊のシンボルマ-ク(4) 西警団第7警戒群(高尾山)

1. おらが部隊のシンボルマ-ク 

    航空自衛隊のみならず、各自衛隊の部隊は特色のあるシンボルマ-クを制定している。昭和58年3月~60年8月まで2年半西部航空警戒管制団司令部人事部長として勤務した当時の隷下部隊のシンボルマ-クと現在公表されている部隊シンボルマ-クを比較してみたらデザインや色彩などほぼ同じであるよう見受けた。

 法規に基づき授けられる指揮権・指揮官・部隊を象徴する部隊旗と異なり、部隊・隊員の総意を結集して決めた部隊シンボルマ-クは部隊団結の象徴であり、常時広く愛用され、ジャンバ-等の胸部に着用していることが多かった。

 シンボルマ-クの制定とデザイン採用にあたっては、隊員から広く応募したりして、部隊の任務・機能と隊歴があらわされている。いったん制定したデザインと発想・考えは何十年を経過しても受け継がれているようだ。部隊の伝統をいかに大切にしているかがよく分かる。

 現職時代、どこの部隊を訪問しても司令部の玄関では隷下部隊のシンボルマ-クが展示されているのをよく見かけたものだ。

    西警団勤務当時のアルバム帳に隷下部隊のシンボルマ-クの制定の由来等が載った基地新聞「春日」の切り抜きが張られていた。どうしたことか一部が欠で全部隊が揃ってはいないのが残念であった。

 私の利用しているタンスの引き出しに、在職当時の各部隊のネクタイピンのほかに新品の西警団・シンボルマ-クの一部が袋に包んで保管されていた。30年以上タンスに眠っていたことになる。全部が刺繍のシンボルマ-クは写真で見るより実に良くできているのに驚くばかりである。自衛隊の部隊シンボルマ-クを収集しているマニアがいるくらいだからお宝の一つであろうか。

 

昭和時代の西部航空警戒管制団のレ-ダ-サイト

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2.西部航空警戒管制団の各部隊シンボルマ-クの昔と今

第7警戒群のシンボルマ-ク

❶ 昭和の時代(第7警戒群・高尾山分とん基地 ) 

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《 昭和58年~60年当時の基地新聞「春日」の切り抜き 》

 

 第7警戒群・高尾山分とん基地 は、人事部長在任間に、群司令が和泉光保1佐・加藤公明1佐・樋口隆士1佐と交代したが、和泉1佐・加藤1佐ともにCS同期であった。

 非常に安定した部隊であったことを覚えている。

 生まれ故郷の鳥取県湯梨浜町に近く、幹部候補生時代に美保基地と第7警戒群を部隊研修したことがあった。陸自新隊員時代に米子駐屯地に入隊・教育を受けた思いでの場所であった。高尾山の山頂から眺めた弓ヶ浜の景色と秀峰大山がくっきりと浮かぶ様子は瞼に焼き付いている。

 

❷ 現在(第7警戒隊)

 高尾山分屯基地

《 西警団ホームぺ-ジ出典 》

3.昭和の第7警戒群(高尾山分とん基地)が所在した当時の高尾山周辺 

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 《 昭和59年頃の観光パンフレットの一部 》