昭和の航空自衛隊の思い出(110) 110回を迎えた「空自の思い出」ブログ

1.  その時何を考え立ち向かったか 

    「昭和の航空自衛隊の思い出」は早いもので 110回を迎えることとなった。昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 全体からみれば、ちょうど入隊から11年目くらいから12年目位のところに差し掛かったところだ。階級は、防大・一般幹候出身の場合は大体1尉であるが、部内幹部出身としては、2尉で31~32歳であるからごく普通であったように思っている。操縦学生出身であったことからどちらかというと若手に属していた。
 航空自衛隊は、昨年、創設60周年を迎えた。昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を一口で言うならば、昔風にいうと「鈍行列車」であり、立身出世などは列外であったが、勤務は、俗にいう「水が合っていた」といえる。これはきれいごとや誇張でもなく実感であった。
    訓練、勤務に対して、積極的に取り組み、毎日が新しいものに立ち向かう感じで、いつの時代も緊張と新鮮であったように記憶している。
 自衛官生活を振り返って、私が他と比べて特別だったわけではなく、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。時代が変わっても現役の皆さんはそれ以上であろう。
 当時、自衛隊を旧軍視したり、閉鎖社会と勘違いしている人たちからすれば、想像できないほど全く異なった新生航空自衛隊であった。
    創設期はどこの社会・組織でも問題を抱えているものであるが、それらを解決すべく立ち向かう開かれた組織であったように思う。
 80歳・傘寿を迎えても、地域社会の活動や生活面で「創造」「挑戦」「前向き」といったことは、いつまで続くかはわからないが、老いたりといえどもその気概は持ち合わせているのでありがたいことだと思っている。
 
2.   ブログの主体は徒然記的なもの
 昭和の航空自衛隊の思い出は、社会時評をしたり、自分の意見を述べたりすることが目的ではなく、あくまでも自分の回想録であって、上記の主旨に徹して綴っている。当時何を考えていいたか、感じていたかという面で多少の感想を添えることにしている。
 文章的には、推敲に推敲を重ねるべきであるが、あまり気にしないで書き綴ることにしている。現職時代は幕僚勤務において文書作成など要務業務が大事であった。一つの通達を発出するのに、徹底して「てにおは」から始まって、一字一句吟味し、推敲に推敲を重ねた。簡潔明瞭を旨とし、法制度・論理性・一貫性・部隊に及ばす影響などありとあらゆる面から検討したものだ。
 その点からすると、恥ずかしい限りであるが、文章はともかく、気持ちだけは表すことに努めている。遥か昔のこととなると資料ががなくて確認するのに時間を要することがある。自衛隊生活の後半は日記や資料があるので先へ進んでいくにつれて楽になってくるのではないかと思っている。
 書き溜めたものがあるわけではなく、一行づつパソコンをぽつぽつ打つことになるので、時間がかかることおびただしい。特別に締切日いがあるわけではないが、「浜ちゃん日記」などもいれながら気分転換を図って、気長に進めている。 
 いつまでかかるか分からないが、昭和の航空自衛隊の思い出を完了するまでは当分あの世へ行くわけにはいかないようだ。「がんとの闘い」もあちらの方がしばし休憩しているようで先のことは分からない。その点では申し訳ないが、私の健康維持薬とボケ防止対策の一つかもしれない。 
 
3.  守るべきものは守る
 自衛隊を退官したからといって、言ってよいこと悪いことがある。人間の品格の問題であろう。会社の運営・製品・研究等に関して企業秘密があるごとく、何十年たったことでも軍事には作戦上の戦術戦法など秘密があるものだ。手の内を明かさないことは当然のことである。軍事の専門的な立場からすると、少しの情報から大体の概要がつかめるものである。
 私が、それほど重要な立場にいたわけではないが、職務を通じ知りうることは多くあった。従って、防衛省から発表されているものを中心にして記述することにしている。そのことが部隊・隊員を守ることにつながるからである。最後まで老兵として現在・未来の部隊・隊員を守ることを忘れないでいたい。 大きく言えば国家国民を守ることにつながることになる。