昭和の航空自衛隊の思い出(43)   文書と郵政担当の実務

1.  文書業務の活模範の実務訓練

 整備学校職員として総務課総務班に配置されると、半年単位で順繰り各係長の下について急速練成することになった。

 先ず最初の仕事は、学生要員でお手伝いした時の延長で 、文書担当の縣益司郎事務官の下で仕事をすることになった。温厚できまじめかつ几帳面な方で文書の受付・整理.・発簡・保存は見事なものであった。郵政の業務も経験した。縣事務官はその後文書班長となり、航空自衛隊随一の文書管理のエキスパ-トとして知られた。

 

2.  初めての職務上の上司と部下

 航空自衛隊に入隊以来2カ年は操縦学生として教育訓練を受ける立場であった。正式に個別命令で配置され、初めての上司と部下の関係で実務に就くことになった。縣事務官からは総務業務のイロハを直接伝授してもらい学ぶことができた。活模範の人柄で、納得しながら基本を身に付けていった。

 文書係にはすでに優秀な志賀努士長がいて助けてもらった。温厚な彼とは一緒に市内の旅館に泊まったりしたものである。

 

3.   命令・各種文書の作成

  自衛隊生活では、どんな職種・職務であっても、幕僚業務の基本は文書作成に熟達することが必須である。各種命令の起案・一般文書の作成・管理に強ければ強いほど業務処理は的確かつ迅速になる。文書管理を通じてあらゆる文書に接する機会が与えられたことは得難い経験であった。学校史等も原議書・原本に触れることができた。

 短期間の文書係の経験であったが、その影響は大きく、自主積極的な自己研さんを動議付けた。後年、人事・総務幹部になってから、自衛隊といった枠ではなく、一般省庁・会社の総務・文書管理などに関心を持ち、「総務」等の雑誌を定期購入したりして勉強し、現場業務の改善を試みたりするようになった。

 その延長上で、20数年後に第3術科学校の2佐の科長として人事・総務教育の責任者になり、後輩の教育につながるようになるとは思いもしなかった。人生とはなかなか面白いものだと思う。

 

4. 宝の山と見えた航空自衛隊法規類集

   文書係について最大の成果は、書棚にずらりと並ぶ航空自衛隊法規類集等が宝の山のように見え、誰に遠慮することなく、読むことができたことであった。憲法・法律・規則・訓令・達によって、航空自衛隊の各分野のすべてが法規面から網羅されており、宝の山を見つけた思いであった。

 仕事の合間に、最初は総務関係から施設・調達・会計等何回も読んでいるうちに惹きつけられ、このことにより大きな流れや全体の輪郭をおぼろげながら理解することができた。

 無味乾燥に一見見えるが、業務の根拠となる法令等の内容を理解・熟知することは指揮官・幕僚として必要なことである。当時、新人の空士長なりに、ほんの一部分をなでる程度であったが、すべてが新鮮で業務の詳しいことはわからなくても大筋や流れを知ることができた。本当に得難い経験であり、その後の自衛官勤務に生きてきた。

 

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 《 昭和32年在りし日の縣益司郎防衛庁事務官、平成26年6月6日享年92歳でご逝去された。縣氏は、兵役の経験もあり、昭和31年10月に防衛庁事務官として採用された。

私との出会いは32年4月であり、文書係長として手腕をふるって居られた。浜松市北区細江町 気賀出身で、文才にたけ地元のあかつき短歌会の代表をされたりした。毎年、年賀状には漢詩が認められており楽しみであった。ご冥福をお祈りします。 》