浜ちゃん日記  一日だけのだがしやさん

 1.特色のある 一日だけのだがしやさん  

 「駄菓子」「だがしやさん 」この言葉には、子供の頃の思い出と繋がってなつかしい特別な響きがある言葉である。今日では死語となるほどの時代となってしまったが、神久呂地区では毎年一回「一日だけのだがしやさん」行事が行われている。

  先日9月13日(日)浜松市西区神久呂協働センタ-主催 の恒例の「一日だけのだがしやさん」は、神田センタ-所長、稲垣職員、内山職員のほか中学生のボランティア、ふれあい大学の受講者、社会福祉協議会などの皆さんが協力して盛大に実施された。両親と一緒の子、おばぁちゃんときた子、友達同士できた子と様々であった。

 その盛況さは想像以上である。開始時刻の12時前に各箇所とも列ができた。まずは自分の一番買いたいもの、たべたいもののところに集まり列ができる。今風で言えば「行列ができる店」ということになる。

 文字通り昔懐かしいもので、ラムネなど180本用意したものが1時間で売り切れるほどの盛況であった。綿菓子に至っては出来上がるまでに時間がかかるが、じっと我慢して一歩一歩前に進むことになるから最後の最後まで長蛇の列が続いた。

 私もラムネを一本買って飲んでみた。子供の頃と味は同じで、形状と玉は同じでガラス瓶がプラスチックに変わっただけで、栓を抜くと一気に吹き出す様は全く変わりがなかった。

 「一日だけのだがしやさん」は地域における特色のある行事の一つである。かなり前から行われてきたようであるが、誰が考えたのか今日まで継続して行われていることに驚くばかりである。これからも続けてほしいものだ。

 

2.子供の時に身体で覚えたことは忘れない

   私の担当は、毎年コマ回し、けん玉などだ。子供たちは最初のうちはお目当ての駄菓子を廻るのに夢中でコマ回しなど誰も見向きもしないが、一通り廻ると満足してか、コマ、けん玉などに寄ってくる。遊び道具は協働センタ-で準備しているので、自由に心行くまで楽しむことができる。

 最初のうちは、自信のある子はいきなり駒を廻し始めるが、あまり経験のなさそうな子はそばで見ておりしばらくすると挑戦し始める。人の輪ができると結構多くのこどもがおしよせた。

 私の子供の頃は、鳥取県の田舎で海と山を舞台に友達と真っ黒になって遊んだ。今の子のようにゲ-ム機など縁のない時代であった。自然を相手に遊びを創りだし、家の周りで男も女も昔からのいろいろな遊びをした。

 特に、コマ廻しなどはその力量を競ったものだ。やり方・技術・コツは少し年上のものから見よう真似ようで教わった。自分なりに技量の向上を図ったものである。従って子供の時に経験したことは何十年の空白があってもちょっと練習すればできるようになる。それに比べて子供の時に体験しなかったことを歳をとってからやろうとしても中々身につかないことがある。

 多くの道具が手づくりであった。与えられたものではなく自分たちで遊び用具を作ったり、兄姉たちからのお古を受け継いで使ったものである。やり方等は伝統的なものもあったが、そこには子供ながらに自ら考えた「創造」「創意工夫」ということをやっていたようだ。

 そのように思うと、いつの時代でも、子供のときは出来るだけいろいろなことを体験しておくことは必ずや将来役立つことがあるものだ。とりわけ、子供の時に身体で覚えたことは忘れないものだ。

 70年の歳月を経てもいとも簡単に短時間でコマを廻す姿をそばでじっと見ていた子は何を感じたであろうか。子供の時に遊んだことがいつの時代でも生きている。

  

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《 綿菓子はじっと我慢の行列 》

 

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 《 どこのところも人だかりでにぎわった。》

  

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《 一段落すると、パンなど買い物もお互いににこやかだ。 》

 

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《 射的も順番待ちだ。 》

 

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《 コマ、けん玉など多くの子が集まった。 》