1. 第1期操縦学生・飛行幹部候補生の後尾に付く
昭和35(1960)年2月、部内選抜合格者の第23期一般幹部候補生として幹部候補生学校へ入校した。
第1期操縦学生として、操縦幹部を目指したが操縦課程中途で操縦免により夢は破れたが、一般隊員として、部隊の勤務経験を重ねながら挫折と苦悩を経て新活路を見い出し再起した。
それは、部内からの選抜試験に挑戦し、何としても、「第1期の同期の後尾に付きたい」という心から湧き出る意欲と固い決心であった。
当時、第1期操縦学生は、ジエット基本操縦課程の終了グループごと3期に分けて「飛行(操縦)幹部候補生課程」に進んだ。
第一陣の第1期(34.8.12〜34.10.7)、次いで、第2期(34.11.12)、第3期(35.2.16〜35.4.6)であった。したがって、私は第1期操縦学生の第三陣の第3期と一緒になったわけである。多くの操縦コ-スを歩む同期と進む道は異なったが、初心がかない感慨無量であった。
第23期入校者60名のうち、操縦免となった第1期操縦学生出身者10名が初陣で初心を果たし、操縦免となった者の新たなる進路を開くことになった。
部内幹候の特色は、部内からの選抜という点から同期生間で年齢差があったことである。第23期の同期生の中では、第1期操縦学生出身者が一番の若手組となった。
上は35歳から下は24歳と10歳余の幅があり、人生経験や職種も多種多様で、課程の教育訓練以外でも人生勉強に役立つことになった。
入校式に臨み、次なる10カ月の幹部候補生としての自覚と試練へ向けて身が引きしまった。
2.航空自衛隊幹部候補生学校の概要
奈良基地のホ-ムぺ-ジを開くと、幹部候補生学校の任務、沿革及び主要教育課程等が紹介されている。
❶ 任務
航空自衛隊の幹部自衛官となるために必ず入校する全国唯一の学校であり、幹部自衛官としての資質を養うとともに、初級幹部として職務を遂行するのに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行っている。
❷ 沿革
昭和29年12月 幹部候補生課程教育開始(浜松)
昭和30年 9月 幹部候補生学校新編(防府)
昭和32年 3月 幹部候補生学校移転(奈良)
昭和52年 4月 一般幹部候補生(女子)教育開始
昭和55年 4月 医科歯科幹部候補生教育開始
平成 元 年 1月 航空教育集団隷下に改編
❸ 主要教育課程
課 程 名 | 略 称 | 期 間 | 出 身 |
一般幹部候補生(防大) | B | 約23週 | 防衛大学校卒業者 |
一般幹部候補生(一般) | U | 約40週 | 一般大学等卒業者 |
一般幹部候補生(部内) | I | 約26週 | 部内選抜試験合格者 |
飛 行 幹 部 候 補 生 | A | 約16週 | 航空学生出身者 |
医科歯科幹部候補生 | MD | 約 6週 | 防衛医科大学校等卒業者 |
3 尉 候 補 者 | S | 約13週 | 幹部昇任試験合格者 |
私が昭和35年に入校した当時と大きく異なる点は、学校施設教育環境と課程の教育期間の違いでであろう。
❶ 学校施設・教育環境については、自衛隊退官後、部内幹候23期の同期会を懐かしい奈良で行った折、基地見学を行った。母校の教育施設環境が完備して幹部候補生の育成の場にふさわしく充実していることに感嘆したことがあった。
創設期は部隊も学校等機関も同じで、候補生も2段ベッドであった。特別に一般隊員と異なることはなかった。すべてが質素であった。
❷ 各課程の教育期間は、長年の教育成果と研究改善の結果であろうか、部内幹部候補生課程などかなり短縮されてきた課程もある。
当時の教育期間を、一般幹部候補生と飛行(操縦)幹部候補生のみ取り上げてみた。
【一般幹部候補生】
第20期(防大3期)(34.4.6~34.8.29)・第21期(部外)(34.4.1~35.2.9)
第22期(部内)34.8.11~35.6.8)・第23期(部内)35.2.10~35.12.13)
【 飛行(操縦)幹部候補生】
第1期(34.8.12〜34.10.7)・第2期(34.11.12)・第3期(35.2.16〜35.4.6)
隊内で一般的に使われていた幹部の区分呼称は、人事上の取扱いはさておいて、当然、幹部候補生課程の卒業区分によっていた。防衛大学校卒業者は「防大」、一般大学卒業者は「部外」「部外幹候」「一般」「一般幹候」、部内出身者は「部内」「部内幹候」、操縦学生出身者は「操学」、航空学生と呼称が変更となってからは「航学」、3尉候補者出身者は「3候」「特幹」と広く呼ばれていた。
操縦学生については、航空学生制度になっても、同期仲間では、現在に至るも当時の呼称のまま「操縦学生」「操学」を使っている。
《 昭和35年入校当時の正門 》
《 昭和35年入校当時の学校本部庁舎 》
《 昭和35年入校当時の学校の全景 》