神原町花の会(神原会)(463) 協同活動によるコスモスの整理

  神原町花の会(神原会)(会長相佐末吉氏) は、6月19日(日)08:00~09:30の間、14名が参加して花畑のコスモス等の整理を行った。

 自然播種したものを整理して,再度種まきをする予定である。雨上がりのため根っこの土落としに苦労した。

協同活動によるコスモスの整理      令和4年6月19日午前撮影

 

浜ちゃんの散歩道(56)  整然と耕された畑とスイカ畑 

 朝の散歩をしていると整然と整理された畑に出会う。すっきりとした大地に次はどんな作物が育つか楽しみである。スイカ畑にたくましく育っているスイカの球が見えた。

❶ 整然と耕された畑   令和4年6月19日朝撮影

❷ イカ畑   令和4年6月19日朝撮影

 

浜ちゃんの散歩道(55) アジサイ巡りと雨が降った後の夕暮れの風景

 今日は名所のアジサイ巡りを楽しんだ。未明から降り始めた雨が夕方になって上がった。明日は天気になりそうだ。

 今朝の散歩は中止にし、午前東部写楽会の勉強会に参加し。午後は姪夫婦と自分たち夫婦が一緒にアジ名所である掛川市の本勝寺、牧之原市の大鐘家と秋葉公園を訪れて

最盛期のアジサイを鑑賞した。素晴らしい出来栄えであった。

 後程、別項でアジサイ巡りを紹介します。

❶ 掛川市本勝寺のアジサイ  令和4年6月18日撮影

❷  雨が上がった後の夕暮れの風景  令和4年6月18日撮影

 

浜ちゃんの散歩道(54) 梅雨時の中休みか? 田んぼき周りいろいろ

 梅雨時だけに、雨の降らない1日となったが,晴れたり曇ったりの日となり,気温が高くなった。

 最近,地域で全くアオサギの姿を見かけなかったが,田んぼに一羽飛来した。どこの田んぼでも、昔と比べてカエルの合唱等の声が少なくなってきたように感じる。

❶ 朝の田んぼ

 田んぼにやってきたアオサギなど







浜ちゃん日記  梅雨時の雑草繁茂の防止

 今朝は、早朝から「健康広場」の一部と「ふれあいの場」周辺の除草対処を行った。

 昨年、手作業で雑草の抜き取りを行ったが、最近雑草が目立つようになった。そこで、梅雨入りで雑草がさらに繁茂するとを未然防止するためである。

 先週と今週の2回の除草対処でかなり雑草繁茂を防止できるのではなかろうか。

健康広場の雑草対処   令和4年6月16日撮影

 



 

浜ちゃんの散歩道( 53) 鮮明な朝焼けがあると激動の一日を予感させる

 梅雨入り後の僅かな曇天の天気である。早朝の散歩も鮮明な朝焼けがあると足取りも軽くなる。色合いによって、激動の一日の始まりを予感させるものがある。

 今日は、早朝から健康広場等の除草対処を予定していたので,軽い散歩にした。

❶ 激動の一日を予感させる朝焼け  令和4年6月16日早朝撮影

❷ 花色いろいろ  令和4年6月15日朝撮影 






 

87歳の雑感(255)  わが人生の歩みを綴るアルバム等の整理

 昭和10年に生まれてから社会人となるまでの写真はさほど多くはない。写真といえば、昭和20年以前は,カメラのある家庭は資産家等裕福な家庭でないと持てなかった時代であった。

 したがって、普通の家庭は,誕生祝い、入学式、卒業式など特別な日に写真屋さんが撮影したものが主である。

 こうしたことから、昭和30年自衛隊に入隊してからの写真や家庭を持ってからの部隊勤務や家族を中心とした写真が多数である。

 昭和40年代までは、カメラは貴重品であった。自衛隊に入隊して数年後,自分のカメラを持ちたいと思い、時代ごとに一般的なカメラを購入し、撮影したフイルムを写真屋さんで焼き付けてもらったものが大部分である。残念ながら自分で暗室で焼き付けを行う技術を持ち合わせていなかった。

 平成の時代になってからデジタルカメラとなり,パソコンに取り入れて,自分でプリンターで印刷するようになった。

 その分だけ、手軽に写真が出来上がったので、アルバム帳が溜まり冊数が増えて来た。時代ごとにその都度整理に努めてきた。子供たちの成長記録写真は各人ごとにアルバム帳を作成しておいて,成人になってから手渡した。

 昭和の30年代半ばからカラーフイルムと幻灯機が流行った。そこでmini35幻灯機を手に入れてよく映写したものである。(先日50年ぶりに取り出して映写してみたら健在であった。)

     その後、カメラもフィルムの時代からデジタルと変わって来た。特に今日においては,パソコン処理で,その都度整理も楽になった。フイルムとデジタルでは分類・整理・保存面では隔世の感がある。さらに近時のスマホの写真撮影機能は素晴らしいものがある。

 ここ数日,昭和30年代のフイルムを復元機でパソコンへの入力を試みたが,あまりにもフイルムが大量であることから,特に必要なものだけに限定さて取り出することにした。

 どんな品物でも同じであるが,自分にとって大事なものでも家族にとってはただのフィルムや写真でしかないものだ。わが人生の終わりと共に消滅するものでもあるが、これで良いと思っている。これが人生というものであるからだ。