浜ちゃん日記  平々凡々の退屈しない暮らし

   昨日は、曇りガチの天気で、ひょっとするとありがたい雨となるかと期待したが、空振りであった。

    今日は早朝、眠りの最中に「曇り空のなかに日の出の風景が面白い」と妻に起された。常日頃「めずらいしぃできごとがあれば教えてくれ」と頼んでいたからだ。寝ぼけ眼で見たら点でつながったように見えるではないか。眠気がいっぺんに覚めて、早速カメラに収めようと、階下にカメラを取りに行って帰ってみたら、あっという間に雲の形は変わっていた。カメラを取りに行っている間に雲の形が変わっていたのだ。変哲もないありふれたものになっていた。これぞという瞬間を撮るのは難しい。

    今朝は昨夜から午前中は、健康広場のコスモスラインの整備を計画していた。日射しは次第に強くなったが、鍬で石と雑草を除く作業である。防暑対策と気合を入れて作業を行った。通りかかった知り合いが、心配して冷たい飲み物を差し入れてくれた。これで十分一日の運動をしたことになる。

    まちなかの花ライン形成の中核をなす健康広場の外柵沿いの花ラインの出来具合はまちなかの花ラインの象徴となるものである。皆の協力と集団力の成果をできれば一つの形にしたいと願っていからだ。

 午後は、安倍内閣改造のニュ-スを中心に、テレビを観たりで休養した。

     夕方は5時から2時間、花の会の管理する花いっぱい区域の花壇の水やりを丁寧に行なった。日中は厳しい暑さであったが、夕方になると涼しくなった。毎日いろいろなことの繰り返しのように見えるが同じではない。その都度変化があるものだ。

 こうして80坂でバラエティに富んだ毎日を過ごせることに感謝した。自分のことだけではなく、多少でもボランティア活動という形で地域や人様に役立つことができることは達成感、満足感があるから良い。健康であることがその原動力であると言える。 

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  《 04:43、見た時には 点の連続で面白い現象だと思い、カメラを取りに行って帰ってきたら点は線になっていた。一瞬の出来事であった。その後、新聞配達のバイクがやってきて、ポストに新聞を入れていった。》

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《 「夕焼け」の歌ではないが、夕暮れの静かな風景は素晴らしいものがある。カラスの群れが西から東へ向かってねぐらへ帰っていった。水遣りも終了し家路についた。》 

山門の人生の教示  海と大気とは何人にも共有である

    今朝から浜松地方は小雨がふったが、当地は降りそうで降らない天気で一日が終わってしまった。花の会の関係で市役所に書類提出で車で出かけたが、多少の降雨もありうらやましいかぎりであった。

 先般8月1日は、早朝墓参りをした。洞雲寺山門入り口の掲示は「海と大気とは何人にも共有である」とあった。今も昔も自然は何人とも等しく共有である。

 子供 たちは夏休みになった。私の子供時代は宿題はもちろんあったが、子供同士でふるさと鳥取の宇野海岸で浜辺や岩場で海水浴をしたリ、魚とりをしたものである。帰りは必ず水量豊かで冷たくおいしい「ダキの水」を心いくまで浴びたものである。山合いに囲まれた集落には工場一つなく、それこそ空気はおいしかった。老若男女を問わず誰もが等しく共有していた。素朴なふるさとはどのようになっているであろうか。

 自然界は人間に等しくあらゆるものを提供してくれる。これをうまく使えるかどうかは、各人各様の知恵である。生きとし生けるものが共有している自然界であるが、現代は海、大気の汚染・破壊問題なるものが提起されるようになった。

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《 海と大気とは何人にも共有である。 》

神原町花の会(花美原会)(267) 花壇の水やりとさじ加減

    各地で大雨だ豪雨だと警報が出ているのに、当地では雨が降るような気配がするが、全く雨が降らなくて、作物にも影響がでてきた。花壇の一部花木が枯れるなどの被害が出てきた。

  こうしたことから、毎日夕方になれば、花壇の水かけに出かけている。焼け石に水そのもので、気長にじっと天の恵みをまつしかない。 自然現象はなんともならないが、被害をできるだけ局限したいとの思いである。

    ところで、花木がかわいそうだけでは問題の解決にならない。本来ならば、自然に順応できないものは枯れるままにするのが自然界の掟であろうが、管理する花壇は、そんな悠長なことを言っておれない。何とかこの厳しい状況を防ぎたいと懸命の努力を続けている。

    人間と同じで、植物も過保護は過保護を呼びダメにする。水やりもさじ加減が必要である。その辺の按配を誤ると花木をダメにしてしまうことがあるからだ。

    それにしても、花畑の基幹花であるコスモスは、発芽した後、一切水やりなど手を加えていないが、雑草と同じくらいの強さを持っている。その生命力には驚くばかりである。

f:id:y_hamada:20170801161908j:plain《 平成29年8月1日夕方、花畑の基幹花であるコスモスは、石の混じった畑であるが、種まきから発芽、現在に至るまで自然のままである。雑草と同じくらいの強靭力と生命力を有し驚くばかりである。》

元自衛官の時想(19) 元自衛官の時想の再整理

 y_hamadaのブログも回を重ね1,500回以上となった。各項目タイトルの確認と見直しを行い分類整理をしています。4年以上になると膨大な量となり、筆者自身が混乱することもあるので、逐次項目タイトルの点検を行い、統合等を含めて項目タイトルの再整理を行うことにしました。

 「元自衛官の時想」は、「元防人の雑感」、次いで「防衛雑感」に引き続いて、新しい項目タイトルをつけたものですが、筆者の立場、書こうとしている対象内容は同じであることから今後のことを考えて、連番を付け直して「元自衛官の時想」に一本化することにしました。

 タイトルの通り、陸上及び航空自衛隊に35年余勤務した元自衛官の立場からの知見及び経験、さらには退官後の自算会・日本損保協会相談所の勤務と地域社会での活動経験を踏まえて、折々の時想を綴ることにしています。

神原町花の会(花美原会)(266) 草取り協同活動

    花美原会は、7月30日午前8時から約一時間15名が参加し、コスモス畑と健康広場外柵沿いの草取り作業を行った。高気温のため短時間の作業とし、集団力を発揮し所定の草取りを完了した。次回は9月上旬のコスモス花摘み一般公開前の準備作業になるであろう。それにしても屋外はじっとしても暑く感じる季節である。

1 コスモス畑

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 2 健康広場外柵沿い

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3 花協同活動終了後の記念撮影

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元自衛官の時想(18) 日報問題と防衛省・自衛隊の対応

    朝鮮中央通信は7月29日、北朝鮮が28日夜に大陸間弾道ミサイルICBM)「火星14」の2回目の試験発射を実施し、成功したと伝えた。北朝鮮のミサイルの発射は、陸自の日報問題で、防衛大臣辞任の間隙を突いたかのようであり、発射の度に性能・精度が向上しているものとみられている。

    こうした国際の厳しい軍事情勢下でも、国内は政争に明け暮れ、森友学園、加計獣医学部問題など、国会はことの本質とはかけ離れた枝葉末節のことがらで揺れ動いた。 

❶ 陸自PKO派遣部隊の日報問題を巡る特別監察

    陸自の日報問題については、7月28日防衛省から平成29年3月17日から実施した特別監察果が公表されたので、「平成29年3月17日から実施の特別防衛監察結果関係(防衛監察本部ホームページ)」によって報告書の全文を確認した。 

 新聞各紙によって、ほぼ全文、要約のものに分かれるが、何事も一番知りたいのは報告書の全文であった。いつの場合もそうであるが、報道メディアの立場で報道の仕方や報告書内容の受け止め方、解釈がかなり分かれている。偏向報道という言葉があるごとく、記事内容は眼光紙背に徹すで熟読吟味が必要であろう。

 今回の南ス-ダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題は、防衛大臣、防衛事務次官陸上幕僚長の辞任にまで発展したが、問題となった日報は、陸自で見つかるよりも先に統合幕僚監部が公表ずみのものであった。

 報告書では、デ-タの防衛大臣関与は不明、非公表は事務次官陸自の判断、ことの発端は日報開示が部隊の安全危惧にあったと要約できる。

 特別監察報告を機に、防衛大臣の隠蔽関与の有無から指揮統率、文官統制なとがとりあげられている。 なぜ防衛省陸自の保管を非公表にしたのか。誤った判断に至った背景や原因はどこにあるのか、この問題の根っこは何なのかの議論が欠落しているように思うがどうであろうか。

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《 平成29年7月29日産経新聞 》

❷ 情報公開の不手際が国民の信頼を損ねく事態の生起

    日報問題の発端から特別監察に至るまでの経過を見ると、そこに国家機関として、軍事秘密でない限り、活動状況を適時適切に 、国民に積極的に情報を公開し知らせることは当然の責務であろう。

     特に、国家防衛の骨幹をなす自衛隊は、国民の理解と支持無くして成り立たないことは自明の理である。今日、情報公開は当たり前の時代となっている。 国家の安全に著しい害を与えるものを除いて一般的には公文書は公開されることになる。日報の非開示の判断は誤りであった。

❸ 政治的なしわ寄せに翻弄されるPKO

    国民の絶対的な支持を得ている自衛隊も、国連の要請に基づくPKO派遣部隊は、わが国の厳しい派遣5原則の制約を受けながら、各国軍隊の国際基準との格差に悩み、苦労しながら任務を遂行してきた。過去の派遣部隊の指揮官の派遣記などを読むとその辺の苦労を拝察することができる。

  自衛隊が、国連平和維持活動(pko)に参加する際の条件・5原則は次のとおりである。

(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、(3)中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、の5項目で、それぞれPKO協力法に盛り込まれている。 

    国際的に評価の高い自衛隊の派遣部隊であったが、PKO派遣部隊指揮官の体験記に見られるように、現場での部隊活動及び各国派遣部隊との連携などで、法制上の不備が派遣部隊に過度の負担を課してきたことが認められる。こうした反省教訓の上に立って、先の駆け付け警護など安全保障法制の充実で体制固めは一歩前進した。

 このように、自衛隊のPKO派遣に当たって、諸問題が生起したならば、政治が責任をもって解決していく必要がある。諸問題の背景には、つまるところ、自衛隊の位置付けが国家の基本法である憲法に明記されていないことから、第一線部隊の現場の報告書一つが、時の政治情勢や政争によって自衛隊の骨幹に大きな影響を与えることがあることである。

    世界の軍隊で、今回の派遣部隊の活動報告である日報程度のことで、揺れる事例はないであろう。ましてや胸を張って活動報告をするのが通常である。恥ずかしい限りであるが、報告書に「戦闘」という用語があるだけで、鬼の首を撮ったかの如く大騒ぎをし、政争の具に使われる。これがわが国の実態である。

    世界各国において、軍事の世界ではごく当たり前の「戦闘」「戦闘地域」など「戦闘」という用語の定義や解釈をことさらしなければならない自衛隊の立場が、第一線の部隊と言えども、報告書一つに細心の神経を使わなければいけない事態が問題であることを知る必要があるのではなかろうか。

 こうしたことは、与野党を問わず政治が解決しなければならない課題を、第一線の派遣部隊にしわ寄せされている状況にあるということである。問題の本質は突き詰めていくと、自衛隊の存在が憲法に定明文化されていないところにあることを見逃しているところに問題の根源があることを強く指摘するものである。

❹ 自衛隊では「戦闘」等軍事用語は日常に使っている  

    自衛隊では、軍事組織である限り.「戦闘」「戦闘訓練」「戦闘報告」「戦闘詳報」という用語は日常的に使っているといって過言ではない。そこには小難しい理屈や厳密な定義や法律的な解釈を考えて使っているわけではない。一般的な用語として隊員すべてが、何の疑問もなく使用している言葉である。第一線部隊は上級部隊への報告にあたって、厳密な法律な立場や政治的な配慮をしてこの用語を使っているわけではないからである。

     世界各国は国家の基本として軍隊の保持を国是としているのが普通であり、国家の基本法たる憲法に国軍の保持を明記している。したがって、国民は軍事や軍隊用語への共通の理解がある。 世界を見渡して軍組織において各国で全く起こり得ないことが、わが国では起っている。

❺  活動報告記録はしっかりと保存し今後の活動の資とする

 昭和の時代、35年余の自衛隊の各級司令部勤務で、幕僚としてしっかりと報告書等で作成記録をしてきた。個人においても日記等をつけてきた。当たり前のことである。自衛隊の部隊が毎日の活動状況を上級司令部に報告するのは当たり前のことで、上級司令部の指揮官はこれらによりはl隷下部隊の状況を把握することができる。各種の報告等はすべて規則等で明示し確実に実施されている。

 また、活動報告記録は、今後の部隊任務遂行上の教訓・反省の資とするものであり、再び作ることのできない貴重な資料等となるものである。宝と言ってよいものである。特に、海外における諸活動は新しい活動分野であり、報告書の分析検討と教訓の積み重ねにより、部隊運用、活動上からも得難い資料となるものである。

 今回の日報問題で、毎日の活動報告がおろそかになったり、内容に忖度が行われるようになってはいけない。事実を正確に記録し報告することが求められる。

 基本的には、対外的な発表は、現場部隊の諸報告に基づき最高司令部が全般状況と合わせて要約整理し公表するのが原則であろう。

 貴重な活動記録を破棄するという方向より長期にわたって保存し、より広く活用する方向が求められている。 

❻ 国家国民の負託にこたえる堂々たる自衛隊の任務遂行

 今回の日報問題に関連して、防衛省自衛隊をして、PKÒ派遣部隊の活動報告などにおいて、自衛隊のおかれた国内情勢から政治的な配慮や忖度が行われることを恐れるものである。国民に対する活動状況の積極的な広報はもとより情報公開は当然のことである。

 自衛隊は国家・国民から負託された使命を遂行している。正々堂々と胸を張ってひるむことなく 任務の遂行にまい進してもらいたい。問題が生起した時は、政治の解決にゆだねるのみである。これが政治と軍事の在り方である。政治が問題解決を怠れば、国民は批判し、正しい方向を必ずや示すであろう。

    また、第一線で黙々と任務を遂行している隊員のためにも、防衛隊大臣をはじめ内局 、統合・各幕僚監部及び作戦部隊の最高司令部は、適時的確な判断処置を行い、積極的に活動状況を広報し、国民に安心感を与える責務がある。

 

老いる雑感(26) 日本人の 平均寿命男性80.98歳・女性87.14歳

 今朝の各紙は、7月27日厚生労働省が発表した調査結果について、平成28年度の日本人の平均寿命は 男性が80.98歳(前年80.75歳)、女性が87.14歳(前年86.99歳)で、ともに過去最高を更新したことを 報じた。

 過去最高の更新は、男性が5年連続、女性が4年連続。男女差は前年より0.08歳縮まり、6.16歳になったとのことである。

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 厚生労働省は、毎年各年齢の人が平均何年生きられるかを表す「平均寿命」の見込みを計算している。私の場合は、すでに男性の平均寿命を越えている。この平均寿命で自分の寿命が延びるわけではないが、超高齢社会に入ったことを数字が如実に示している。

 今日は期せずして、航空自衛隊OB団体の「つばさ会だより」が届けられた。この中で訃報の欄があるが、17名の物故者のうち享年100歳以上が4名であった。昭和の時代の航空自衛隊において、旧軍歴を持つ歴戦の大先輩で創設期の部隊建設に貢献された方々であった。直接の上下の関係はなくてもその活躍ぶりは承知しており驚くばかりであった。

 平均寿命のニュ-スから、平均寿命が上がれば上がるほど国家・社会に及ぼす影響は、いかばかりかと自分なりに考えてみた。専門家はどのように分析するであろうか。その背景には医療の進歩発展はもとより、国民意識生活様式など暮らしぶりが大きく変わってきた。

     明るいニュースと見るのか、喜ばしい事象と受け止めるか、はたまた、右下がりのよくない兆候と受け止めるのか、政治、経済、産業、社会、文化、教育の分野ではどのような影響をおよぼすであろうか。国家としての対処施策はどのように進んでいくのであろうか。国家の安全保障・軍事の分野ではどのような影響がでてくるであろうかと、このデータを前にして暫く考えてみた。

    それにしても、人間の寿命というものは不可解なものだ。誰も自分の寿命を知ることができない。日常生活においては、全く自分の寿命など毎日考えながら暮らしているわけではない。何かのきっかけでふと思うだけのことである。

    両親の亡くなった歳を超えるようになった。自然にそうなっただけであるが、平均寿命のニュースは、寿命について改めて考える機会を与えてくれた。

    個人としては、明るく元気に豊かな毎日を過ごし、いかに若い人たちのお世話にならないで、最後の最後まで何らかの形で社会に貢献できたらありがたいと思った。