令和の徒然の記(1) キリストの原始福音信仰証誌「生命之光」

   15年ほど前からキリスト聖書塾発行の原始福音信仰証誌「生命之光」を拝読させていただいている。創刊は1948年10月1日である。

   私は仏教の檀信徒で、キリスト教信徒ではないが、毎回内容は素晴らしいの一語に尽きる。読後感は心が洗われるようである。

   最初に拝読した時から今日に至るまで、最も注目し感服したのは、終始一貫している「我らが信条」である。

    わが国が大東亜戦争に敗れ、連合軍の占領下におかれて以降、講和条約により独立して70年経っても、国家の基本である国防等ついて未だ国民的な一致を見ていない。まだまだ国際的に見て普通の国に立ち返っていない現状にあるではなかろうか。

     こうした中で、手島郁郎さんが1948年に創刊された誌には、昭和の時代から堂々と次のような「我らが信条」を掲げておられ、すごく感服したものであった。

◯ 我らは、日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う。

◯ 我らは、日本人の心に宗教の復興を願い、原始福音の再興を祈る。

◯ 我らは、無教会主義に立つ。従っていかなる教会・教派にも属せず、作らず、ただ旧新約聖書に学ぶものである。

◯ 我らは、キリスト教純化を願うが、日本の他の諸宗教を愛し、祖師たちの人格を崇敬するものである。

◯ 我らは、政党・政派を超越して、愛と善意という平和をもって、日本社会の聖化を期し、社会正義と人間愛を宣揚するものである。

  キリストは言いたもう。

「すべて労する者、重荷を負う者、われに来たら、われ汝らを休ません」

   とりわけ、

❶「大和魂の振起を願う」

    戦後、「大和魂」は禁語のごとく言われてきた感があった。古の日本の歴史を学べば、日本のよさで誇るべきもがある。どの民族も誇るべきものを持っている。日本民族・日本人の精神・特性に誇れるものがあるから他民族を尊重することができる。

    戦後、自らの歴史・誇りを否定する風潮の中で、日本人が忘れた、忘れようとした「大和魂」の振起を堂々と前面に打ち出した胆力に驚き感服したものである。

「宗教の復活を願い」原始福音の再興

    どの宗派を問わず、信仰心を持つことは素晴らしいことである。私は熱心な信者ではないが、いくつになっても、自分なりに心の軸になるものを持つことな大事なことだと思っている。

     手島郁郎さんの聖書講話(ヨハネ伝)は、門外の者でも分かりやすく、なるほどと納得するものがある。自分のものとして消化し、着飾らず、自分の言葉で解説されているところに卓見ともいうべきものがある。原始福音の再興を目指された幕屋の活動は素晴らしい。

❸  「無教会主義に立つ」と幕屋集会

   教会を持たず、各地にキリストの幕屋集会を設けて旧新約聖書を学ぶ様子は、信者の随想などで読ませていただいている。信仰に至る経過などからキリストを信仰する実に率直な心情などありのまま綴られて感動するものがある。

「日本の他の宗教を愛し」祖師の崇敬

    戦後の混乱期に、各地で宗教の争いを見てきた者には、この言葉は実に新鮮であった。自分の信ずる宗教の繁栄を祈るも、他の宗教を尊重する姿勢は、これこそあるべき姿であると思ったものである。

    そこからは、 当然祖師たちの人格を崇敬することにつながる。お互いを貶める争いほど醜いものはない。どの宗教もそれなりの教義があり存在するものだ。

❺  「政党・政派を超越して」愛・善意・平和

   原始福音の目指すものに共感を呼ぶものがある。ここには懐の広い度量がある。

   浜松における毎年の建国記念日の行事には、お手伝いに幕屋の皆さんが参加されている。日本の国の歴史・文化と先祖・先人を誇りにし、皇室を敬う心は時代を超えて尊いものではなかろうか。

 

   付記

    写真と説明文がすばらしい。表紙と裏紙、中紙の写真が素晴らしい。同じ写真でも信仰心があふれて見えるやような気がしてならない。

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