昭和の航空自衛隊の思い出(434) 指揮官と副指揮官、隊司令と副司令

1    調査隊司令

    昭和63(1988)年7月、時の航空自衛隊調査隊の指揮官たる隊司令は、防大第3期の新谷哲次1等空佐であった。新谷隊司令は、バイロット出身で小牧基地に所在する第3輸送航空隊司令航空幕僚監部防衛部調査第1課総括班長などを歴任された方であった。

    新谷隊司令とは、以前に特別の面識もなく、前職の空幕人事課人事第2班長当時、調査隊の准尉、空曹及び空士の要員選抜・養成、昇任、異動などでお話する程度であった。

   副司令として、司令を助ける立場になって、在任間一緒に勤務し、実に指揮統率に優れ、少数精鋭の部隊の運営に精魂を傾けられている姿に接し、今日に至るも敬愛する指揮官のお一人である。

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 《 第11代調査隊司令 新谷哲次1等空佐  》

2   調査隊副司令の役割

    航空自衛隊調査隊に副司令が設けられたのは時代の要請でもあった。  時あたかも調査隊は創設から20周年を迎えようとしていた。昭和30年代初めに各基地に設置された調査班を母体に昭和44年7月1日、部隊保全専門部隊として新編され、以来20年航空自衛隊の充実発展とともに調査隊も発展し、さらに質的向上が強く求められるようになってきた。一方、創設以来のベテランの優秀な隊員が毎年定年を迎える時期に差しさかかっており、世代交代に伴う要員の補充と養成が大きな課題であった。

   着任にあたり決意したことは、一般的な指揮官補佐に止まらず、初代副司令として、最も期待されていること、やるべきことは何かを自問し、着任時から明確であった。

    新谷隊司令の最も期待、補佐してもらいたいことは、運用面ではなく、将来基幹となる要員の補充・育成と人事管理の充実にあると受け止め理解した。私の今までの人事部門での経験を存分に生かし、手腕を十二分に発揮できる事項に鋭意努力することとし、将来の発展につながる人的戦力の基盤作りに精魂を込めることにした。

    新谷隊司令はその点を理解されて、特に配慮していただいたことは、全国の23か所の地方調査隊の初度視察、業務観察などの機会を普通の副指揮官の何倍をも作ってもらったことである。このことは感謝しきれない程であった。

     そのことにより、地方調査隊と所在基地の実情を把握し、調査隊員の人事施策、分けても安定した人事管理の確立について、積極的に新谷隊司令を補佐することができた。

3   指揮官と副指揮官の補佐

 副指揮官は、指揮官に対する最高の補佐者である。若いころ中部航空警戒団司令兼ねて入間基地司令の副官を経験し、旧軍経験者を含めて各級の指揮官のありようを学ぶ機会を与えられた。指揮幕僚課程修了後は主として各級司令部の人事幕僚として勤務してきたことから、指揮官と副指揮官の関係については、どうあるべきかを拝察し、指揮官になった場合はどうあるべきか、副指揮官になった場合は指揮官をどのように補佐すべきかをしっかりと胸の中にしまってきた。

 したがって、虚心坦懐に、自然体で隊司令との関係を保持することに努めた。指揮官の意図を明察し、誠心誠意をもって積極的に指揮官を補佐することに努めた。

4 1等空佐の礼装用階級章

 今まで礼装用階級章を着用する機会はすくなかったが、式典等で着用することになった。当時、自衛隊では礼装用階級章を「わらじ」と言っていたが、空自の場合それほどこの言葉を用いかなかったように記憶している。その由来はいろいろあるようだ。今はどうであろうか。               

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《 調査隊副司令・1佐時の礼装》