11月29日~30日 シニアクラブ浜松市・浜松市老人クラブ連合会の役員視察研修に参加した。この研修は本部役員、地区連合会長及び女性部地区代表等34名が参加して行われた。
研修先は,安城市の石川丈山苑、半田赤レンガ建物の見学、南知多ラドン温泉・美舟での宿泊・懇親会、常滑やきもの散歩道(散策()、あいち航空ミュ-ジァムの見学等を行った。その中で、特に印象に残った「あいち航空ミュ-ジァム」を取り上げてみることにしました。
浜松では、航空機関連の施設としては、航空自衛隊浜松広報館(エアーパーク)があり、一番人気の場所である。名古屋空港は何度か航空機搭乗で利用したことがあるが、「あいち航空ミュ-ジァム」は初めての見学であった。
1 飛行場地区
航空ミュージァム屋上に立って、航空自衛隊小牧基地を望観して約半世紀前に奈良の幹部候補生学校を卒業・赴任し、3等空尉に任官、要撃管制幹部課程を学んだ頃が思い出された。小牧市の郊外に家庭を持ち、学生として英語と邀撃管制の訓練に励み卒業するや新任地の千葉県の房総半島の南端に位置する峰岡山サイトに向かった。良く訪れた小牧山や要撃管制訓練に出かけた高蔵寺がかすかに見えた。
2 YS-11
航空ミュージァムに鎮座するYS-11は懐かしかった。現職時代出張の折、輸送定期便として搭乗し慣れ親しんだ国産機であったこと。また、YS-11は、日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機で、大東亜戦争敗戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機であったからだ。
航空自衛隊の創設期は、C-46輸送機の定期便を利用して、要撃管制官の交差訓練に他サイトへ出張した。その後YS-11に代わっていった。
3 零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機は、日本海軍が昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)にかけて運用していた戦闘機である。開発は三菱重工業。大東亜戦争において開戦から終戦まで運用された。「ゼロ戦」として世界に誇る名機といわれている。浜松広報館にも零戦が展示されている。
我が国に現存している零式艦上戦闘機はどこに何機あるであろうかとネットで調べてみたら意外多いのに驚いた。 ..
❶ あいち航空ミュージァム案内パンフレット
❷ 館内
➌ 零式艦上戦闘機
❹ 屋上からの飛行場地区
《 小牧基地は、今から55年前、 昭和36年航空自衛隊幹部候補生学校を卒業し、初級幹部として要撃管制幹部課程を学んだところである。滑走路を挟んで真向かいの名古屋空港を眺めたものであった。また、航空機製造の三菱重工の工場は研修でしばしば訪れた。今回は50年の歳月を経て反対側から望観することになった。》