1. 各級司令部人事幕僚としての活動と主要部隊の人事担当者との交流時代
昭和50(1975)~63(1988)年代は、私が人事幕僚として最も活動できた時代であった。指揮官の意図を体しながら積極的かつ果敢に職務に取り組んだ時代であったからです。階級は3佐から1佐の間で、自衛官生活で最も輝いていた時代ともいえよう。
昭和43年8月要撃管制幹部から転進して、人事幹部課程を修了し、警戒管制団整備補給群の総務人事班長、次いで基地業務群の人事班長、教導高射隊総務班長となった。その後、指揮幕僚課程を卒業し、昭和48年7月から各級司令部の人事幕僚として勤務するようになった。
各級司令部、わけても航空総隊司令部及び西部航空方面隊司令部では作戦部隊の人事幕僚、航空幕僚監部においては、人事第2班長として、航空自衛隊の准空尉・空曹及び空士に関わる人事施策及人事管理の運用を担当したことから全国の人事担当幹部及び空曹と面識を持つようになり意思疎通や連絡調整が緊密になった。
こうした点から当時のメモをもとに、昭和52年から63年における方面隊ごと航空団・警戒団等主要部隊の自衛官人事を担当した人事部長及び人事班長をまとめてみた。
昭和の52年から63年は、平成時代に至る空自の昭和時代の最終期にあたり、10年間の限られた年数ではあるが、航空自衛隊の人事部門の主要な陣容を網羅・再現することに努めた。
ひと昔前のことであり、コツコツと確認しながら書き連ねていくうちに、当時の状況やそれぞれの方との関係がよみがえるものがあった。本当にお世話になった方ばかりとの思いを更に強くした。
意気込みだけはあるが、当時のメモ、日記等から整理をしてみたものの、判読しがたいもの、一部欠落しているものもあり、はるか30~40数年前のことであるので抜けがあればご容赦くださるとともにご教示ください。メモに〇〇3・2佐とだけ書いてあって、該当者が複数いて特定できないものはそのままにした。
当時は、空幕を除き各級司令部は、部・班の編制で今日のように部・課・班の編制ではなかった。
2. 昭和52~63年における飛行教育集団における人事部長・人事班長
◼️飛行教育集団司令部
🔵飛行教育集団司令部(浜松北基地)
*平成元年3月浜松南基地・浜松北基地を統合、「浜松基地」となる。平成元年3月飛行教育集団司令部及び術科教育本部廃止、航空教育集団新編される。
〇人事部長
1佐根本巌(陸57)→1佐 吉川文泰(陸60)→1佐 神藤武夫(陸外5)→1佐小澤重信(内陸10)→1佐伊窪幸雄(外3)→1佐川又喜代次(外9)→1佐井野英夫(防2)→1佐勝山満(防1)→1佐坂本龍紅(外11)
〇人事班長
2佐三井良彦(内8)→2佐濵田喜己(内23)→2佐重政寶爾(防9)→
2佐小西友彦(外28)→2佐牧野義雄(外40)→2佐林國満(防17)
🔵第1航空団(浜松北基地)
〇人事部長
2佐湯浅満(外9)→2佐今福美智夫(外16)→2佐岩井義雄(防5)→
2佐水越照夫(外34)→ 2佐鈴木勝義(外40)
〇人事班長
1尉高橋守男(防11)→1尉江口繁治(外52)→3佐江口稔(外54)→
3佐齋藤恒雄(内55)
🔵第4航空団(松島基地)
〇人事部長
2佐内藤猛(外9)→2佐足立定雄(67)→2佐前田利久(外16)→
2佐伊藤憲二(外13)→2佐皆川正孝(外25)
〇人事班長
1尉神之園一男(内50)→1尉緒方康祐(技52)→3佐加藤之典(外58)→
3佐齋藤衛(内59)
🔵第11飛行教育団(静浜基地)
〇人事班長
3佐松本淳(外21)→3佐西氷輝(外34)→3佐松下勝美(外37)→
3佐正井重幸(防18)
🔵第12飛行教育団(防府北基地)
〇人事班長
1尉原忠生(外56)→ 3佐毛利毅仁(防13)→3佐岡村洲二(外13)→
3佐大窪義勝(内53)
🔵第13飛行教育団(芦屋基地)
〇人事班長
1尉奥田裕(外48)→3佐松田秀敏(内29)→1尉鈴木( )→
1尉齋藤厳(内61)
🔵航空学生教育隊(防府北基地)
〇人事班長
1尉草野幸男(内53)→1尉福田博(内53)→3佐渡邊信行(内59)
航空自衛隊の編成
❶ 昭和50年3月末現在
《 航空自衛隊20年表から出典》
❷ 昭和62年3月末現在
《 防衛白書出典 》
昔と今
❶ 昭和の時代の飛行教育集団司令部庁舎
《 昭和の時代の浜松北基地パンフレットから 》
❷ 現在の航空教育集団司令部庁舎