1.准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習と部隊訪問
那覇基地における平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習は、全国の主要な部隊・機関の准曹士人事担当の幹部・空曹が参加する大人数の講習であった。
人事第2班長が主導する講習であり、主役であった。本講習は、准空尉・空曹及び空士の人事全般に関する事項と充員計画にかかわる次年度の各種の異動交流のまとめであった。航空自衛隊は、充実発展と共に部隊展開・配置に伴い適時適切な要員の充員・異動交流が重要であった。
特に、多数の各種の異動交流を計画するにあたっては、事前に受け入れ先部隊等と差し出し先部隊等を丁寧且つ綿密に調整して立案作成することが必要であった。
これらを強力に推進するため、全国の主要な部隊・機関の准曹士人事担当の幹部・空曹が一堂に会して、人事第2班主導による調整方式を取り入れた。これは人事第2班担当者が采配を振るって、全員参加、資料をもとに各種異動交流を一件ごと調整していく方式であった。
この方式は極めて有効で、厳しい任務をやり遂げた異動候補者を次年度着実に希望基地などへ異動実現することができたこと。人事担当者相互の電話でのやりとりでは時間がかかり進まなかったことが顔を合わせながらのやりとりで調整が一気に進みまとめることができた。
調整の段階で諸問題が発生した時には当該部隊の人事担当者がその都度指揮官へ報告し了解を得ることができたこと、部隊の実情が十分考慮された調整結果であることから無理のない異動交流計画に繋がり効率的かつ実現性の高いものとなったこと、次年度充員計画に盛られた異動交流計画は、円滑な異動交流が実行でき、計画を100パーセント達成できたことであった。
さらに加えて、沖縄・離島サイト・硫黄島等に勤務する隊員が異動先のめどが立つことにより今後の生活設計等が可能になったこと、各級指揮官にとっても部下隊員の異動に関して積極的に関与し、指揮統率面に良い影響へ与えることができたことであった。
昭和48年7月指揮幕僚課程を卒業し、西部航空方面隊司令部に准曹士人事担当になったころには、沖縄へ展開する部隊へ要員の送り込みと交代要員関係業務を担当した。その後、52年8月総隊司令部において、再び准曹士人事担当として充員計画の立案を担当した。58年3月西部航空警戒管制団人事部長として離島勤務者の異動交流に苦心した当時を思い返した。
人事第2班長として、空自全般の立場で准空尉・空曹及び空士充員計画を担当する立場になって、感慨深く、在任間全力を傾注として諸課題に立ち向かいたいと思ったものであった。多くの関係の皆さんの協力支援によって職務が遂行できたことに感謝した。
《 平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習参加者 》
2.沖永良部分屯基地訪問と説明・講話
沖永良部分屯基地訪問は、宮古島と同じく、講習の合間を縫っての限られた時間に行動するため那覇から航空自衛隊機を利用し日帰りであった。南混団司令部からは人事部木村1が同行してくれた。隊員に人事施策を広く周知徹底し、人事管理の方向を理解することによって部隊運用はもとより自己の目標の設定、生活設計に資するともに働き甲斐・勤務意欲の向上につなげたいという強い思いがあったからであった。
出原群司令以下主要幹部が出迎えてくださり、群司令から部隊の状況説明を受け・幹部全員に対して准曹士人事・経歴管理の運用方針等を説明し、准空尉及び空曹に対しては異動管理を中心とした具体的な人事管理の方向などを講話した。
当時のメモによると、沖永良部分屯基地の主要幹部は、第55警戒群司令兼ねて沖永良部分屯基地司令 2佐出原史博、監視隊長3佐多田清宏、通信電子隊長1尉奥野亭、業務隊長3佐立川一、総務人事班長2尉中園一摩、運用班長2尉尾崎貴良と記していた。
《 自衛隊機から 》
《 第55警戒群司令 出原史博2佐から丁寧な状況説明をいただいた。》
《 群の主要幹部の皆さんと 》
《 群幹部 全員に対して、准曹士人事・経歴管理の運用方針等について説明した。》
《 准空尉及び空曹に対しては異動管理を中心とした具体的な人事管理の方向などを講話した。》
3.沖永良部 当時の観光パンフレット
《 当時の沖永良部の観光パンフレット の一部、基地から空港へ向う間であったが、空と陸から全島を垣間見た。かって私がお世話した空曹が沖永良部に勤務した折、季節の折に沖永良部の花を送ってくれ、今でも強く印象に残る島であった。》