昭和の航空自衛隊の思い出(416) 空幕人事第2班長職の総括(6) 人事第2班の機能発揮の基盤確立が最大の喜び

  空幕人事課勤務及び人事第2班長職の総括として、最高の喜びは、人事第2班の機能発揮の基盤の確立に寄与できたことであった。

1.   人事第2班の機能発揮と存在感   

   空幕人事第2班について、准曹士充員計画の作成が復帰するまで、昭和の時代、各級司令部の人事幕僚、とりわけ航空総隊司令部及び航空方面隊司令部において、准尉、空曹及び空士に関する人事担当をした経験から感じたことは、正直なところ准曹士人事の総本山あるべき空幕人事第2班が、幹部人事担当の人事第1班、事務官等人事担当の人事第3班と比較して存在感が薄かったように記憶している。

    その具体的な例として、幹部人事は、毎年人事異動計画を作成する時期になると、事前に、人事第1班補任担当幕僚が部隊訪問して部隊要望を聴取し、人事部長・人事班長との関係は緊密であったのに対して、人事第2班長及び担当者の部隊訪問はなかったように記憶している。人事第1班補任担当幕僚の部隊訪問の折は基地所在の人事担当者が集まり懇親会を設け懇談したものである。

   それに対して、准曹士充員計画作成時期になると、部隊等担当者は、人事第2班ではなく、もっぱら、空幕人事計画室へ出かけたり、当該担当幕僚とのやりとりのみが強く印象に残っている。空幕勤務になるまでに、人事第2班担当幕僚との懇談・懇親の機会は残念ながら全く記憶にない。一言で言えば影が薄かったということである。

    それに至ったのは、准曹士人事の総本山あるべき空幕人事第2班が充員計画に関し、計画段階で充員や異動交流の要望の窓口ではなく、空幕人事計画室へ要望を提出し、時には担当者の元へ説明に駆けつけることを行なっていたからであった。

    部隊要望を実現するには、計画段階でしっかりと要望し、充員計画に盛り込んでもらうことがまず大事であった。計画が出来上がってから、要望しても異動等は相手のあることであり、実現が困難であった。後期の修正作業時までまたざるを得なかった。

    このことは、意外に大きな力と意味をもっており、充員計画の二元化、計画部門と実行部門には、どんなに連絡調整を密にしても越えられないものがあった。

    計画段階で、第2班から幹部と空曹が支援に参加したとはいえ、人事第2班長は関与することなく進められていた。一方、部隊側は、空幕に対しては、窓口が二つあり、内容によって使い分けるという複雑化が生じた。このように充員に関しては、計画と実行の二元化は長い間に人事第2班の機能発揮に大きな影を落としていたのである。

   この理由は明白であった。これらは世間でよく知られる予算付けとおなじである。財務省・当時大蔵省が財布を握るごとく、隊員の充員・異動等を計画するところが強いのは当然の成り行きであった。

    当時、21年間にわたり、人事第2班は本来の所掌業務であり、かつ、人事機能の命脈である准曹士自衛官の部隊等への充員・異動等の骨幹となる充員計画の「計画」部門をもぎ取られ実行のみを担当する変則的な状態となっていた。

    したがって、空自の部隊建設、精強化、異動等のきめ細かな人事管理のため充員計画の一元化・計画と実行の一体化は緊急の課題であった。

2.  空幕と部隊を結ぶ 准曹士充員計画の計画と実行と生きた人事

    人事第2班長の職にあって、強く感じたことは、空幕と部隊等を結ぶ最大の糸は、准曹士充員計画の作成と計画の実行であり、それを主軸に生きた人事が行われたことであった。

    経歴管理基準の運用の裏づけは、部隊等への充員・配員、昇任・入校・各種要員の選定と実行によって行われ、一層きめ細かな人事管理がうまく循環するようになった。

人事第2班の機能発揮の基盤確立と 人事第2班長としての最大の喜び

     最初にして最後の空幕勤務において、利渉人事事課長の特命で人事第2班所掌業務の一部見直しを実施報告する機会を与えられ、対処策案が承認され、充員計画が本来のあるべき姿に戻り、人事第2班が一層機能発揮し、名実ともに准曹士人事の総本山としての基盤が確立された。

    人事第2班長を核心とした班が、各部隊等の人事担当と一体となって航空自衛隊の任務遂行に寄与できるようになったことが最大の喜びであった。