昭和の航空自衛隊の思い 出(325) 家族の健康と自衛隊勤務

1.   隊員の勤務と家族の健康等

 自衛官は、入隊にあたって所定の身体検査に合格し、入隊後の教育訓練のおいては任務遂行に必要な体力・気力錬成を行ない一般的に身体強健である。

    長い自衛官生活においては、検査・治療のため衛生隊にお世話になったり、部外の病院へ通院・入院することもあるが、隊員の健康管理や医療体制は医務官等を配置して隊員の健康維持が図られていた。

   こうした元で隊員の勤務に影響を及ぼすのが家族の健康等の心配事であった。隊員が後顧の憂なく任務を遂行できる基盤となるものに家族が健康で心配事がないことが望まれる。部隊運営及び指揮統率上からも着意すべき必須とも言える。

    通常の勤務においても、任務上、長期の派遣勤務、訓練演習等で家を不在にしたり、勤務地以外で勤務につくこともあったからである。ましてや各種要員の選定や海外等への派遣などに当たっては家庭の安定・家族の健康等は重要な要素であった。

2.  隊員の身上把握と個人申告制度

    各級指揮官が、部下隊員の身上を把握することは当然である。当時、通常部隊等では、所定の身上調書に自分で所要事項を記入し上官に申告していた。

   また、個人申告制度の導入で、毎年、職務・勤務地・異動・特技転換などのほか家族の健康状態、配慮を要する事項を申告することが行われた。

     人事部門は、丹念に申告内容を整理・ホローアップし、指揮官の方針に基づいて、所属する部隊長の意見を勘案し個人の要望等を実現することに努めたものであった。

     このほか、上下の人事担当者相互の情報の交換により細部の状況を把握していた。     

3.自衛隊勤務における家族の健康等

 私の約35年余の自衛隊勤務を通して、職務が一番忙しくかつ濃密に活動したのは、自衛隊生活が最終段階に近づいていた総決算期とも言える西警団司令部人事部長と空幕人事課人事第2班長のポストであった。ふり返ってみて、厳しい職務を全う出来たのは、何といっても家族の健康等に憂いがなく全力を職務に傾けることができたことを挙げることができる。 

 昭和30年に自衛隊入隊以来、私自身は大きな病気もなく健康に過ごして退官したが、自衛官人生が軌道に乗り始めた頃、わが人生最大の危機とも言えた試練に直面したことがあった。

    それは、若い時代の昭和37年3月妻が長子を生んで半月後に産後の肥立ちが悪く、突如として他界してしまった。全く予想もしなかった事態の発生、家庭の危機に直面するという厳しくも辛いことを経験したことから、人一倍に隊員及び家族の健康や心の痛みについては関心と注意を払ってきた。

 西警団は当時約2,300名の部隊であるだけに、人事部長の元には、隷下部隊から隊員の健康や家族の深刻な諸問題が報告されてきた。直ちに報告内容を分析検討し人事処置案を作り、団司令に報告し、速やかに対応したものである。

 こうした事案は、部隊運営や隊員の勤務に大きく影響するもであり真剣に取り組んだ。とりわけ、離島サイトに勤務している隊員及び家族の健康問題は一般基地の勤務と異なり、関係部署と調整しながら対応し、着実に一つ一つ解決していった。

 こうしたことがあったせいか、昭和60年6月9日(日)の日誌に「妻の身体と健康」と題して、次のように記している。

「妻と油山に登った。約600メ-トルの山であるが自然がいっぱいそこにあった。汗した後は気分爽快だ。妻が身体の割には丈夫で、芯があるのに驚くばかりである。

   周囲に家族が病気をした、身体が弱いといったニュ―スを耳にするたびにわが女房の健康に感謝する。健康こそ幸福の第一条件である。」と綴っていた。

 当時の日誌には、仕事のことばかりの記載の中で、妻の健康に触れ感謝していた。その後、自衛隊勤務を無事に終えることができたのはお互いが大きな病気をすることもなく、健康であったということであろう。

 退官して26年たつが、一昨年結婚50周年を迎えた。感謝あるのみである。