浜ちゃんブログ(6)  「昭和の航空自衛隊の思い出」を綴るにあたって 

   先日、ブログを始めてからブログ日数が「1,111」となった。こうしてブログを綴れるのも、老兵となった恩典であろうか。自分でやりたい事が出来るようになった証でもあろう。ブログが書けるうちは、何とか自分を保持できているのではなかろうかと思っています。

 ブログの中で、最も力を入れているのが「昭和の航空自衛隊の思い出」です。回を重ねること、303回となりました。何しろ遥か昭和の時代のことが主体であるので、自分なりに昔の手帳や資料で事実関係を確認したり、思い出すのに時間がかかります。

 自分の至らぬ記事で他人様に迷惑をかけてはならないという思いが強く働いています。当時、一緒に勤務した皆さんは私と同年代か20歳前後若かったが、全員自衛隊を定年退官して久しい。登場される方ですでに鬼籍に入られた方も多くおられます。ご冥福を祈りながらご迷惑をかけないように努めています。

 この頃は、よく今朝何を食べましたかと尋ねられて、一瞬はて?と考えてから回答ができる始末であるからおしてしるべしです。パソコンに向かうこと自体が、ボケ防止策の一つと思って取り組んでいます。

 肩ひじを張ることもありませんが、ブログを閉じるころが人生終結の頃合となるでしょうか。

 「昭和の航空自衛隊の思い出」については、次のような考えで綴っています。

 

「昭和の航空自衛隊の思い出」----その時何を考え立ち向かったか 

    昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば操縦学生から転進した部内幹部出身であったということぐらいであろう。
    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は、昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。